「海鳥をアザラシの皮に詰め、発酵」 世界一臭い食品を食べ、犬ぞりを操り… 「エスキモーになった日本人」大島育雄さんの型破りな生涯
エスキモーの世界で暮らしたい
そもそも大島さんがグリーンランドへ来た最大の目的は、将来の登山に向けた調査だったが、民具収集の仕事をするうちにエスキモーの生活に引きつけられていった。無事、500点ほどの民具を日本に発送し、自身も帰国したものの、目標とする登山を実行するより、エスキモーの世界で暮らしてみたいと強く感じ始めた。
自分が仕留めた獲物を食べ、毛皮で衣類や履物を作る。自分の働きがそのまま生活に直結するという、単純で厳しいが自由で豊かな生活に憧れた。民放テレビ局の依頼を受け、エスキモーに関するドキュメンタリー番組制作に協力するためシオラパルクを再訪すると、大島さんはそのまま現地に残ることにした。
長老による縁結び
思わぬ形で転機が訪れた。シオラパルクの長老の勧めで、1974年、5歳年下のエスキモーの女性、アンナさんと結婚することになったのだ。大島さんは時に27歳。アンナさんの家族とは、狩猟の道具を作ってもらうなど以前から親しかったとはいえ、結婚話の急な進展に大島さん自身が驚いた。村の長老はかねて日本びいきで、いつか村に日本人の婿を迎えたいと願っており、大島さんはまたとない人物だったのだ。長老はかつて日本製の双眼鏡の便利さに感心し、日本人の写真を見て自分達とそっくりだと親近感を持った。そこへ村にやってきた大島さんや植村さんが自分達と同じものを嫌がらずに食べる様子を見て、これは本当の仲間だとばかりに日本びいきはさらに強まっていたのだ。
犬ぞり猟師として生きる
大島さんは犬ぞり猟師として家族を養う決心をした。食べる量は家族より犬の方が多い。今日は獲物がない、では済まされない仕事だ。動物との駆け引き、刻々と変化する天候や氷の状態の読み、仕留めた獲物の肉や毛皮を余すところなくどうやって活かすか、狩猟で体得しなければならないことはきりがなかったという。新参者の大島さんに仲間は助言してくれたが、どこに行けば今の時期に何が獲れるかつかめるようになるまで、軽く10年は過ぎた。アザラシ、セイウチ、ホッキョクグマ、トナカイ、ウサギ、キツネ、何でもさばき、食べる。いくら銃があっても巨体で牙を持つセイウチのような相手では、わずかな判断ミスでこちらが命を落としてしまう。大島さんは誰にも命令されず、誰にも命令しない、自分に責任がある自由な暮らし、とよく語ったが、命の危険と常に向き合っていた。
日本人で初めて北極点に立つ
大島さんは控えめで淡々としているのだが、1978年に日本人で初めて北極点に到達したメンバーのひとりである。母校、日本大学の遠征隊からエスキモーの協力者を集め、通訳を兼ねて参加するよう依頼されたのだ。日本では快挙だと賞賛されたが、当の大島さんは後に、「行った、というだけのこと。経験にはなったけど、あまり感動はなかったね」と振り返っている。関心は冒険よりも日常の狩猟生活にすっかり移っていたのだ。
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