「巣鴨若妻殺人事件」の真犯人は本当に“銀行員の夫”だったのか…90年が経っても解明されない“自供の不審点” 「おたくのダンナは大丈夫?」が流行語に

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 今から90年前の昭和11年1月15日、東京・巣鴨で起こった若妻殺人事件は、第一発見者である夫が犯人と見て、警視庁の厳しい追及が始まった。現場の状況に加え、夫の供述の矛盾点がいくつも浮かんできたことが大きな要因だった。捜査陣にとってはスピード解決となりそうだったのだが……。(前後編の後編)

疑わしい点もあるが…

 東京貯蓄銀行巣鴨支店に勤務するA(31)が、妻のB子(24)を殺害した犯人ではないか――警視庁捜査第一課が疑惑の目を向けた理由は前編でも紹介したが、その中でも重視されていたのが、通報時における言動だった。

 1月15日午後4時40分ごろ、帰宅したAは自宅で倒れているB子さんを発見、右手を触ると冷たかったため、すぐに近くの医院に走り院長を呼んだが施術中。そこで親戚に電話をかけ、集まったところでようやく近くの交番に事案を届け出た。その際にAは、

「妻が物盗りのため絞殺されました」

 と申告した。これは立ち会った二人の巡査が聞いている。右手に触り「冷たい」と感じただけなのに、なぜ「物盗り」「絞殺」という言葉が出たのか……捜査第一課が疑いの目を向けるのは当然だった。また、通夜の場で行った捜索で、自宅の六畳の鴨居にかけてあった額縁の裏に、紙に包んだ写真が隠されていた。写っていたのはAがB子さんと結婚する前に同棲していたC子さん。その当時はダンサーとなって、売り出し中だったという。

 Aは別れたC子さんにまだ未練があり、B子さんが邪魔になったのか……。警視庁の調べに対し、「私が悪かった、懺悔いたします」「何もかも申し上げます」などと語ったAだが、その後は黙秘を貫いた。そして、

〈殺人の動機もわからず、(Aは)警察で一回、検事局で一回、予審で一回、妻殺しを自供したが、その自供も理屈に合わぬ点が多く、あとは否認し続けた。(略)その結果、予審判事は証拠不十分で免訴。検事は抗告、東京控訴院では予審のやり直しを命じて有罪に決定。公判では否認につぐ否認で、拷問の結果、心ならずも嘘の自白をしたが、もとより自分の知らぬことである。自分の自白が辻褄の合わないのをみても、無理に自白を強いられたかがわかるだろう、と繰り返した〉(東京法経学院出版『残虐犯罪史』松村喜彦著より)

 この時代は旧刑事訴訟法下だが、「予審」とは起訴された被告に対し、裁判官が公判に付すべきか免訴かの決定と、公判で取り調べにくい証拠を収集するために行う手続で、非公開で行われた。結果的にAは有罪となり、懲役7年の刑が確定するが、刑務所の中でも無罪を主張した。

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