「留守居の美人若妻、白昼絞殺さる」…! 捜査員が“実直な銀行員の夫”に疑惑の目を向けた理由 昭和11年に起きた「巣鴨若妻殺人事件」の晴れない闇

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夫を有力容疑者に

 翌1月16日、東京帝大で司法解剖が行われ、正確な死因は絞殺。死亡推定時刻は15日午後1時ごろ。右肋骨三本が折れ、膵臓に膜下出血があったことから、強く殴られたと推定された。陰部に損傷はないが、体液は残存していた。

 遺体は16日の夕方、自宅に引き取られ、葬儀のために仏壇を作る作業を手伝おうと、立ち会った捜査員がタンスを動かした。すると、奥からAが「なくなった」と言っていた、A子の財布が出てきた。財布の中に入っていたという現金3円34銭は、封筒に入れてタンス内の衣類の間に隠してあった。さらにB子の腕時計も17日、台所で発見された。

〈真珠のネクタイピンと預金通帳は発見できなかったが、だんだん調べてみると、通帳はタンスの衣類の間に隠してあったというが、タンスの中は少しも乱れていなかった。ネクタイピンも、長火鉢の小引き出しに、他のピンと一緒に小箱に入れられてあり、その中には金張りのものもあったにもかかわらず、その中の真物の金のピン一本だけが盗られたというのである。このことは、犯人がこれだけが真物だと知っていたことになる〉(『警視庁史』)

 前述した事件当日のAの訪問先は12軒あるものの、いずれも自宅に近いところばかり。犯行時間帯にこっそり自宅に戻ることができたのではないか――そう見立てた捜査本部は更なる聞き込みを行う。すると、当日の昼ごろ、「自宅付近をウロウロするAを見た」との目撃情報が得られた。近くの自転車店店主(63)である。

 ここまでくると、捜査員の誰もがAに対する疑惑の目を向けざるを得なくなる。17日にB子の通夜がとり行われたが、Aはそのまま巣鴨署の捜査本部に同行され、厳しい追及をうけた。翌18日の午後9時半ごろ、Aは捜査員に対し「私が悪かった、一切を懺悔いたします」と泣きながら語り、「何もかも申し上げます」と言ったものの、なぜかその後は口を閉ざしてしまった。それでも翌日の朝刊では、こんな見出しが。

「“懺悔します”と謎の一言 犯人は夫(A)と当局の自信強し 自白は時間の問題 巣鴨の若妻殺し」(1月19日付 東京朝日新聞)

 仲の良い夫婦で夫は実直な銀行員だったはずなのに――事件の余波は思わぬ流行語を生んだ。

「おたくのダンナは大丈夫?」

【後編は「『巣鴨若妻殺人事件』の真犯人は本当に“銀行員の夫”だったのか…90年が経っても解明されない“自供の不審点” 『おたくのダンナは大丈夫?』が流行語に」】

デイリー新潮編集部

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