「留守居の美人若妻、白昼絞殺さる」…! 捜査員が“実直な銀行員の夫”に疑惑の目を向けた理由 昭和11年に起きた「巣鴨若妻殺人事件」の晴れない闇
昭和の時代、事件が流行語を生むことがあった。いまから50年前の昭和51年、元首相の逮捕にまで発展したロッキード事件では「記憶にございません」「ハチの一刺し」「ピーナッツ」……事件の与えた衝撃が、広く世間に浸透した証でもある。これから取り上げる事件は90年前の昭和11年、東京・巣鴨で起こった殺人事件。この時に生まれた流行語は「おたくのダンナは大丈夫?」だった。一体、どんな事件だったのか――。(前後編の前編)
【写真を見る】白昼に殺された美人若妻…事件の衝撃はすさまじく
帝都に戦慄
昭和11年1月12日、警視庁衛生部は新年度からダンスホールや映画館に空気検査係の専門技官を配置することを公表した。当時の東京は「世界で一番、空気が汚い」と言われており、前年暮れに映画館やデパート、地下鉄などを警視庁が検査した結果、特に汚染度が高い場所がダンスホールと映画館と分かり、専従の検査係の許可を必要とするなど、「空気の取り締まり」を行うことを決定したのだった。ちなみに、戦前の警察制度における取り扱い業務範囲は現在よりも広く、消防、衛生、建築、労働などに関する分野の指導監督・取り締まりも警察の業務だった。
その3日後――後に数々の名作を世に送り出すことになる、松竹大船撮影所が開所した、1月15日のことである。
午後4時40分ころ、東京貯蓄銀行巣鴨支店に勤務するA(31)が豊島区巣鴨の自宅に帰宅した。「ただいま」と言っても返事がない。いつもなら玄関まで出迎える妻のB子(24)が現れない。二人は1年2カ月前に結婚したばかりである(入籍はせず)。Aが家に入ると、そこで変わり果てた妻の姿を目撃する。
〈事件のあった家は、市電の走る大通りからすこしはいった住宅地にあって、玄関二畳、台所に続く茶の間四畳半、その奥に六畳、という間取りで、家主は近くに住み、家賃十八円。和服姿の(B)子は、奥の六畳間で、茶の間との境の襖に沿って置かれた本箱と机のほうに頭を向け、横たわっていた。首にタオルと日本手拭いが巻きつけられ、両足は半開きで、裾が乱れて左足の太腿があらわになっていた〉(東京法経学院出版『残虐犯罪史』松村喜彦著より)
「またも帝都に戦慄 留守居の美人若妻 白昼絞殺さる」
翌日の東京朝日新聞の見出しである。「またも~」というのは当時、警視庁捜査第一課は多くの殺人事件を抱えていた。原宿、本富士両署管内で起こった事件は解決したが、六本木と杉並で起きた事件は未解決のままだったのだ。
現場には捜査第一課から係長が現場に向かい、鑑識課員らと共に現場検証にあたった。新春早々に大事な妻が殺される……誰もがAに同情したわけではなかった。多くの捜査員には違和感があったのだ。
「通報が遅すぎるのではないか?」
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