「留守居の美人若妻、白昼絞殺さる」…! 捜査員が“実直な銀行員の夫”に疑惑の目を向けた理由 昭和11年に起きた「巣鴨若妻殺人事件」の晴れない闇
おかしな現場
後の聴取で語ったところによると、AはB子を発見した時、右手を触った。冷たい。すぐに近所の病院へ向かい、院長を呼んだ。施術中だった院長に「終わり次第、行く」と言われ、そこから今度は自分やB子の兄弟、親戚に電話をかけた。20分後にAの姉夫婦が到着、それから母親がかけつけ、義兄が再び病院へ院長を呼びに行った後、Aはようやく近くの交番に事件を届け出た(この事件の5日後の1月20日、警視庁消防部で救急自動車の運用が開始され、救急電話の119番も始まっている)。
B子の腰の下には畳んだ毛布があった。四畳半のコタツで使用していたものだが、これが“腰枕”となってB子は乱暴されていた。前年の暮れに買い物に出かけた際、家の前から変質者のような男に後をつけられ、騒ぎになったことがあるという。以来、Aが勤めに出た後は、すぐに玄関の鍵を閉め、日中はほとんど外に出ない生活だった。現場検証の結果でも、外部から侵入の痕跡はない。
〈室内をかきまわした形跡がないところから犯人はなまめかしい若妻の容姿を狙った痴漢と見られ従って(上述の)昨年尾行した色情狂風の男も疑問の一人となっているが〉(東京朝日新聞 昭和11年1月16日付)
Aによると、B子の財布に腕時計、さらにAの真珠のネクタイピン、郵便貯金の通帳がなくなっているという。変質者か、物盗りか、あるいは両方か。また、そうだとしても、どのような方法で家に押し入ったのか……捜査第一課員たちは関係各方面への捜査を進めることになるが、“捜査の常道”である第一発見者のAへの身辺捜査から、以下のことが判明した。
〈(A)は東京商業を卒業後すぐに銀行に入った内気な典型的サラリーマンであるが、一昨年まで下谷でカフェー女給をしていた断髪の女と同棲したところ、親が許さず別れさせられ(B子を)迎えたもので、右の女給とのいきさつは結婚後判ったが格別支障なく夫婦仲は円満〉(前出・同)
Aの勤務先である東京貯蓄銀行は、自宅から歩いて20分ほど。事件のあった1月15日はいつもと変わらず、午前8時45分に出勤。担当職務は外回りで、貯金契約と集金だった。同日は10時25分に銀行を出て、集金などで5軒訪問、11時35分に銀行に戻った。午後零時5分に再び外回りに出て7軒を回り、3時15分に戻った。4時17分に銀行は閉まり、行員は帰宅している。Aも同様で、そこから帰宅して遺体を発見したことになる。
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