「ローンはいくら残ってたっけ?」 がんを告知された瞬間、人は何を思うのか…がん患者となった大学教員が重視する「人生の主導権を握っている実感」【第2回】

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「治療をしなければ数カ月です」

――いいです。本当のことを言ってください。

 本心からの言葉だったのかわからない。ただ、いま聞いておかないと後で聞くのはもっと怖くなるような気がした。

「では言います。あくまで確率ですが、このまま治療をしなければ数カ月です」

 不思議なことに、ショックよりも先に湧いてきたのは現実的な懸念の数々だった。

 数カ月というと半年以下か……

 ということは年を越せないのか……

 家族にはどう伝えれば?

 母親にはどう言おうか?

 仕事やめることになるのか……

 生活は大丈夫かな?

 保険はどうしてた? ローンはいくら残ってたっけ?

 今日の晩飯どうしよう?

 おそらく私はいつもの“仕事モード”で問題に優先順位をつけて解決しようとしていたんだと思う。だが、考えることが多すぎる。可能性が発散してしまい、収斂しない。懸念がぐるぐると渦を巻いていた。

医者に対して使わなかった言葉

 結果、私はしばしフリーズしていたに違いない。医者が私に声をかけた。

「大丈夫ですか?」

 大丈夫なわけはない。なのに聞かれると反射的に大丈夫だと答えてしまう。そんな自分に対して「泣き叫んだ方がいいんじゃないか」「泣けるかな」「泣けないな……」なんてことまで考えていた。一体、どんな顔をしてこんなことを考えていたのだろう。混乱とか、錯乱とか、そういった感情が顔に浮かんでいたかも知れない。なのに、不思議なことに告知を受けたときの会話と思考は、はっきりとスローモーションで思い出される。臨死体験というのはオーバーだとしても、“火事場のバカ力”的な、ある種のゾーンのようなものだったような気がする。

 もうひとつ思い出すのが「余命」という言葉を使わなかったことだ。小説や映画でよく出てくるので業界用語のように思え、自分に対して使うことには妙に抵抗があった。一瞬言いかけたが、のどにつかえる感じがあって「どれぐらい生きられるのか」という聞き方をしたことを覚えている。

 そんな逡巡を繰り返しているうちに少しだけ気持ちが落ち着いてきた。そういえば医者は「このまま治療をしなければ数カ月」と言っただけではないか。

――あの、治療というのは?

「いくつか可能性がある抗がん剤があります」

――治療した場合、どれぐらい生きられるとかは?

「一般にステージ4の膵臓がんの余命の中央値は1年程度とされています」

 数カ月が1年に伸びたところで、さして違うようには思えなかった。

 繰り返すが、医師の態度に問題があったわけではない。エビデンスが大切なことはわかっているが、切れ味が鋭い刃のように響いたことは確かだった。

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