被爆「原爆乙女」25人の渡米治療に尽力…「なぜ」を問われた米国人ジャーナリストの回答「心中の願いに従って最善の努力を」

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心中の願いに従って最善の努力を

 しかし、難問は山積していた。治療費や入院費、滞在費に旅費を工面するため方々の財団に懇願した。どの財団から断られたが、幸いカズンズさんの友人が理事を務める病院が手術を引き受けてくれた。そして、「アメリカ友愛奉仕委員会」が原爆乙女のホームステイを担当してくれることとなった。

 この段階でもアメリカ側の反応は厳しかった。その1つは、「こんなことをする真の理由は何か」であり、もう1つは、「渡米できない原爆乙女はどうするか」ということだった。

 カズンズさんはこの質問に、「私たちはたまたま何かお役に立てる立場に置かれたので、心中の願いに従って最善の努力を尽くそうとしているだけだ」と答え、後者の質問には、「彼女たちの態度は少しも悪びれず、哀れをさそうようなそぶりも全く見られず、快活で陽気だった。彼女たちこそわれわれを元気づけてくれた」と自著『ある編集者のオデッセイ』(早川書房)に書いている。

日本でいう仏さまの微笑

 1955(昭和30)年5月、広島の原爆乙女25人が治療と手術を受けるため渡米し、1年後に帰国した。ケロイドが完治したわけではないが、治療や手術はかなりの効果をあげた。その1人の河村照枝さんは、

「カズンズさんは親身になって面倒を見てくれた。言葉も分からず、西も東も不案内な私たちを何度も自宅に招待してくれたり、ピクニックに連れて行ってくれたんです。カズンズさんの笑顔は日本でいう仏さまの微笑で包容力があり、人間の気持ちの尊さや生きて行く自信を与えてくれた」

 1957(昭和32)年に「被爆者援護法」が制定され、手術その他の医療を無料で受けられるようになったが、原爆乙女の渡米に同行し医学博士の原田東岷氏は、

「カズンズさんは、もし、もう一度原爆が落ちたら世界は破滅すると警鐘を鳴らしていた。精神養子運動や原爆乙女の治療など、彼が提唱し、実行してくれたことが、日本の被爆者援護の気運を高め、国外への原爆の悲惨さの伝承へとつながった」

 と、その功績をたたえる。

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