カンヌ映画祭で脚光『急に具合が悪くなる』に触れた闘病中のがん患者が「孤独が和らいだ」と明かす理由 「がんになってぼんやりと考えてきたことが言葉になっていた」

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「急に具合が悪くなる」

 日本人の2人に1人ががんになるといわれる今、それほど珍しい体験をしているわけでもない。はたして、多くの人に読んでいただくだけの価値がある何かが書けるのか。そもそも文筆家でもない一介の大学教員の身の上話に関心を寄せる人がいるのだろうか。それに私はもともと映像を中心としたコンテンツ屋だ。裏方稼業が身に染み付いて、一人称で表現することに強い抵抗感がある。

 かなり迷ったが、結局、こうして書いている。

 ひとつには、旧知の編集者に声をかけてもらったことがある。なにかを書き残すなら文字通りラストチャンスだと思った。だが最大の理由は、自分ががんになってみて、当事者の体験が助けになることを知ったからだ。自分と同じ立場から発せられる言葉はありがたかった。

 がんに関連する書籍の多くは、医学的見地に基づく“対策”や“希望”について書かれている。当事者の日常が書かれたものも少なくないが、自分の状況と合うものはそうそう見つからない。逆に求めているものに出会うと認識が拡張されたような喜びにつながる。

『急に具合が悪くなる』(晶文社)はそんな喜びを与えてくれた一冊だ。がんになった哲学者・宮野真生子さんと友人である人類学者・磯野真穂さんの20通にわたる往復書簡。映画化(濱口竜介監督)され、主演の岡本多緒とビルジニー・エフィラが2026年のカンヌ映画祭で主演女優賞を受賞したことで話題になった。

 私が『急に具合が悪くなる』を知ったのは26年の1月。映画化のニュースを目にしたからだ。

世界がひっくり返るような何か

 たまたま私は大学で映画論の講義を担当し、一時期、“余命”をテーマにした映画を積極的に見まくっていた。そうしたなか、いくつかの偶然の連鎖でこの本に出会った。そして、がんになってからぼんやりと考えてきたことが言葉になっていることに気づき「これだ!」とばかりに膝を打った。本当に膝を打ったわけではないが、脳の上の方に光が差し込み、温かくなるのを感じた。

 例えば、タイトルの由縁にもなった医者の言葉を聞いて、宮野真生子さんが感じた戸惑いの言葉。

〈主治医に「急に具合が悪くなるかもしれない」と言われたのは二〇一八年の秋でした。とりあえず反応に困ったことを覚えています。「えっと……」と質問しようとして、主治医(とても優しく良い医師です)が「念のためですけどね、ホスピスを早めに探しておいてほしいんですよ」と言ったとき、「具合が悪くなる」の先に何があるのかをようやく悟りました〉(『急に具合が悪くなる』25ページより)

“がんと告知される”その瞬間まで、がんになってしまった人は“がんではない”前提で生きてきている。その境目は時間にすれば数秒とか、数分とかそんなものだ。そこで世界がひっくり返るような何かが起こる。宮野さんはそれを言葉にしてくれた。対して「非がん世界」から発すべき言葉はあるのか。人類学者の磯野真穂さんはこう綴っている。

〈「急に具合が悪くなる」とはいったい何を意味しているのか。

「急に具合が悪くなるかもしれない」と医師が宮野さんに伝えることは、医師の対応としては一〇〇パーセント正解でしょう。でもこれを言われた方は戸惑います。私たちは、確率という数字の中で生きているのではなく、火曜日の夕方六時から講義が始まるとか、五月一九日に学会があるとか、そういう具体的な予定の中で生きているからです。その中に「急に具合が悪くなる可能性」を入れ込むとはどういうことなのか。

 さらにです。宮野さんではなく、私、磯野が急に具合が悪くなる可能性だってゼロではありません〉(『急に具合が悪くなる』16~17ページより)

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