「ソ連の船」から仮死状態で落とされ…漂流遺体となった「21歳女子大生」 航海士逮捕の“強引な幕引き”で謎残る「バイカル号事件」【昭和の殺人事件】

  • ブックマーク

変わり果てた姿で北海道の沿岸に

 五木寛之の小説『青年は荒野をめざす』(1967年)で、ジャズミュージシャンを志す主人公・北淳一郎は横浜から船に乗り込んだ。1961年から実在したナホトカ航路、それを行く旅客船バイカル号である。運営はソ連の国営企業。同国の崩壊で航路が廃止されるまで、日本から多くの若者がこの航路でソ連を目指した。

 東京外語大ロシア語学科で学ぶ女性Aさん(21=当時)もそんな若者の1人だった。1976年7月27日、ロシア語研修旅行団に参加したAさんはバイカル号に乗船。だが8月3日、変わり果てた姿となって北海道の沿岸に浮かんでいた。子供の頃に罹患した小児麻痺で右手は不自由だったが、ロシア語を使う仕事で身を立てようと熱心に学んでいた努力家だった。

 船内でAさんと親しくしていた日本人女性は、当時の「週刊新潮」にこう語っている。

「出港して間もなく、2人でバーに行きました。バーといってもコーヒーショップと同じようなものです。午後も二度ほど出かけて、コーヒーを飲んだり、ジュースを飲んだりしました」(1976年10月28日号)

 ロシア人の船員も利用するこのバーはロシア語の勉強に適していたという。Aさんは積極的に話しかけ、彼らの絵を描くなどしていた。死後に見つかった手帳にはこれらのスケッチと、ロシア人7名の名前が書かれていたが、後にAさん殺害犯と“ソ連当局が通知した”ビソーコス四等航海士の名前はない。

一見するときまじめな感じの男

 研修旅行団は総勢20数名。その中でビソーコスを知っていたのはAさん以外に同級生のBくんだけだった。Bくんがビソーコスを認識したのは出航の翌日、28日夕方のこと。

「7時ごろバーに行くと、入り口の航海図の前にソ連の船員とAさんがいて、航路図を見ながら話していました。“イーゴリーに紹介された”と、Aさんが(ビソーコスを)紹介してくれました」(1976年10月28日号)

 イーゴリーとは同船の機関長。Aさんとは以前、Aさんが所属するロシア語劇サークルの船内公演を介して知り合っていた。

 そして、Bくんが見たビソーコスは一見するときまじめな感じ。灰色の髪をきちんと横に分け、背は170センチ足らずだが、腕は太く、手は大きく、体格は良かった。落ち着いた声で、静かに話す。ビソーコスと宮本くんの会話を横で聞きながら、Aさんはメモをとったりしていた。

 ほかの日本人も寄って来て、ビソーコスは30分ほどバイカル号の航路を説明し、午後7時40分に「用がある」と船の下層へおりていった。バーの入り口のそばにある階段は船底の船員室につながっている。乗客は原則としてこの居住区に立ち入れない。また、“遺体を海に投棄できる唯一の場所”とみられていた船の最後尾にあるメインデッキは、この居住区からしか出られない。

次ページ:消えた200米ドル

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。