病弱な妻を愛しているけれど「もしいなくなったら」を考えてしまう。別の女性と10年関係を続け、“10年後”の約束にすがる53歳夫

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妻からベッドに誘われても…

「1年ほどたったとき、怜菜からベッドに誘われました。夫婦の性をどうやって取り戻したらいいかわからなかったから、僕からは誘えなかった。怜菜に誘われてうれしかったのに、僕、できなかったんですよ。情けなかった。怜菜はもっと絶望したかもしれない」

 それからすぐ、怜菜さんが体調を崩した。どこが悪いのか、なかなかわからなかったが、検査を重ねて慢性腎臓病と判断された。腎臓のみならず、あちこちの内臓がうまく働いていないこともわかった。子どものころは虚弱体質と言われたこともあったと怜菜さんは打ち明けた。そんなもともとの弱さが出てしまったのかもしれなかった。

「薬を飲みながらですが、日常生活に特に支障はない。だけどあまり疲れるようなことをしてはいけないということでした。怜菜は『がんばれない人生になってしまったわ』と泣き笑いしていました」

 怜菜さんとの間で、「男女の関係」は望めなくなった。医師に禁止されたわけではないが、ふたりともそんな気をなくしてしまったのだ。彼は怜菜さんを労りながら暮らすのが自分の役目だと思った。触れなくなっても、大事な存在であることに変わりはなかった。

「好きだよ、大事だよと怜菜にはいつも言っていました。彼女はごめんねと言いながら暮らしていた。対等な関係ではないモヤモヤした気持ちがありましたが、僕が庇護すべき存在であるという認識でした。そして怜菜は子猫を庇護することで、何かを満たそうとしていたような気がします」

「中途半端な関係」だった相手と、再会して

 そんな大事な存在を認識していながら、40歳のとき彼は恋に落ちた。相手は学生時代の友人だ。久しぶりに当時の仲間が集まることになり、賢造さんも参加した。仲のよかった理江子さんとも卒業以来の再会だった。

「理江子とは、当時つきあうようなつきあわないような中途半端な関係だったんです。就職してからは会う機会もなくて。その後、彼女は入社した会社を半年で辞めて留学したと話してくれました。留学先で結婚もしたけど、結局は離婚して5年前に帰国したと。ちょうど僕が結婚したころですね。理江子は『賢ちゃんが結婚したのは風の噂で知ってたよ。なんで私じゃなかったんだろうね』と笑いました。冗談だったのに、その言葉が妙にグサッと刺さりました。そうだ、僕は理江子みたいなタイプが好きだったんだ、自分で道を切り開いていくような歩幅の大きな女性が。頭をガツンとやられたように目覚めました」

 今度、食事でもしようと言ってその日は別れた。数日後、賢造さんは理江子さんに連絡、ふたりとも忙しくて日程が合わず、ようやく再会できたのは1ヶ月後だった。

「ただ、その1ヶ月、ずっと理江子に会いたいと思い続けていました。こんなに人を濃い気持ちで思ったことはなかった。もちろん、怜菜に対する気持ちとは違います。明らかに“恋”でした。ドキドキワクワクするような恋愛感情を、もしかしたら僕は40歳にして、初めて味わったかもしれない」

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