発売前日に“新事実が発覚”して顔面蒼白…ネットニュースでは考えられない「昭和の週刊誌」の修羅場「これでもう精いっぱいだよな」

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週刊誌報道の金字塔

 正確な部数は不明だが、この週の週刊新潮の8~9割が、この2行差し替えヴァージョンで発売されたようだ。もちろん、発売日の木曜日には、中川代議士の死因がホテル室内での首つり自殺だったことは、すでに大ニュースとなっていた。

 翌週、週刊新潮は、またもや“大反撃”に出た。実際の中川代議士の最期は、どうだったのか、自殺の原因は、何だったのか。微に入り細を穿った記事が展開していた。特に、すべてを知っていた秘書の鈴木宗男氏(現・参議院議員)を取材班は執拗に追いかけ、ついに、全容詳細を聞き出していた。

 中川代議士は、すでにパーティー直後、汗びっしょりだったという。ホテル自室内でウイスキーの水割りを3杯呑み、「オレはもうダメだ」と口にして睡眠薬を飲んで8時過ぎにベッドに入った。夫人は隣りのつづき部屋だった。そして翌朝、

〈「午前七時十分か十五分ごろだと思います。ぐっすり寝ていたところに、ドアをドンドンたたかれましたのであけますと夫人が立っていて、“鈴木クン来てちょうだい、大変です”と叫んでいらっしゃるんです。すぐ、代議士の部屋に行ったら代議士の姿が見えない。私はすぐ浴室をのぞいたんです。そのときの状況はちょっと話すことができません(注:記事では、別途説明あり)。とにかく、代議士の体を下ろしたのは私です。」〉(鈴木宗男氏の証言)

 その後、遺体の状況や、部屋に駆けつけた医師の証言、かつぎ込まれた救急病院の医師の証言がつづく。さらには警察署長や医師との間で、いかにして死因を隠し、ニセの診断書を発表したかの“工作”の模様も、細かく描かれた。そのほか、自殺の原因となったと噂される“裏切り政治家”たちの“弁解コメント”も続々登場する。総裁選資金の“借金地獄”、すでに前年暮れにも自殺を考えていた……かつて「週刊新潮が歩いた(取材した)あとには、ペンペン草も生えない」といわれたものだが、それを証明するような、まさに週刊誌報道の金字塔ともいうべき記事が展開した。

 それが、《中川一郎代議士を2度も自殺に追い込んだのは「金」だ》と題する、渾身の6ページである(1983年1月27日号)。前回にも登場した、元週刊新潮記者、Aさんの回想。

「三越事件も、中川一郎自殺騒動も、どちらも校了後に事態が“変化”し、発売日の木曜日には、あてがはずれた記事を読者の前に見せることになってしまいました。いまでしたら、連携するネットニュースで、いつでも最新情報に切り替えられますが、当時は、そうはいきません。週に一度、〈紙〉で伝えるしかチャンスがないだけに、木曜日の発売までを、ビクビクして過ごしたものでした。しかし、ハズレたとしても、翌週には、その悔しさをバネにして、さらにすごい記事をつくりあげたものでした」

 毎週火曜日の夕方から1日半後の木曜日は、まさに「魔の木曜日」だったのである。

【第1回は「数多の週刊誌記者が頭を抱えた『発売日の悪夢』…記事が印刷された後に“事態が急変”したら」】

森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。

デイリー新潮編集部

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