戦時中の「ゲルニカ」に、豊かな時代の「汝窯青磁筆洗」“アート”の生まれ方いろいろ(古市憲寿)

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 戦争なんて起きない方がいいに決まっているのだが、こと芸術に目を向けると有事だからこそ生まれた作品がある。代表格といえるのがピカソの「ゲルニカ」(1937年)だろう。バスク地方の街ゲルニカに対する空襲への怒りから、わずか1カ月で描き上げられ、パリ万博に出展された作品だ。このナチスによる空襲は、ピカソ作品によって人類共通の悲劇として広く記憶に刻まれることになった。

 同じスペインではゴヤの「マドリード、1808年5月3日」も戦時アートといえる。ナポレオン軍によるスペイン市民の処刑シーンを描いたものだ。戦士を英雄として描きがちだった戦争画と一線を画すのは、殺される名もなき市民を主役にしたこと。近代反戦アートの祖ともいわれる。

 このように極限状況から生まれる強烈な作品がある一方で、経済的に豊かな時代だから誕生したアートも多い。平和な社会では、アートの庇護者であるパトロンが増えたり、美術館や芸術教育などインフラが整いやすい。また前近代では権力者の放蕩(ほうとう)が後世に残る名品を生み出してきた。

 世界最高の陶芸作品ともいわれる器がある。もちろん評価なんて人それぞれなのだが、少なくとも金額としては桁違いの青磁が存在するのだ。2017年のオークションでは何と42億円で落札された。それが「汝窯青磁筆洗(じょようせいじひっせん)」である。

 12世紀、北宋末期の汝窯で作られたもの。北宋というのはとにかく経済的に豊かな国だった。当時の世界のGDPの約半分を占めていたという試算もあるほどで、首都の開封は人口100万人を超え、夜通し飲食店が開き、デリバリーサービスまである不夜城だった。

 その北宋を滅ぼした戦犯とされる皇帝が徽宗。政治家としての評価は最悪である。だが彼はアートに命を懸けていた。特に皇帝専用窯である汝窯には、国家最高レベルの人材と素材が集められた。そこで作られた、史上最もぜいたくともいえる陶芸が汝窯青磁なのである。

 どんな器を想像するだろうか。信じられないくらいシンプルなのである。まるで無印良品にでも売っていそう。豊かさが極まった先にミニマルに行き着くというのは、現代の富裕層にも通じる(The Rowの服なんて、何の変哲もなさそうなデザインなのに、平気で数十万円する)。「色や金で飾るのは教養のない田舎者や成金のやることだ」という哲学があったのだろうか。

 古今東西、桁違いのお金持ちがすることは面白い。マリー・アントワネットはきらびやかな生活に飽き飽きしていた。だが本物の汚い農村に行くのは嫌。そこでヴェルサイユ宮殿の奥に人工の農村を作らせた。わざと壁にヒビを描いたり、木綿の服でコスプレをしたり、もはや現代アートである。その後、この話には尾ひれがついて、臭いからと羊に香水をかけていたなんてうわさが流されたりもした。

 現代も歴史的に見ればまだまだ平和な時代。イーロン・マスクたち大富豪はこれからどんな実験を見せてくれるのだろうか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2025年12月11日号掲載

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