今なぜ「ハレム」がブームなのか? その意外な背景をトルコ史の専門家が解説

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 全世界で8億人が視聴し、日本でも人気を集めた海外ドラマ「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~」。オスマン皇帝スレイマン1世を主人公にした宝塚の宙組公演「壮麗帝」。そして累計330万部を超える篠原千絵の人気漫画『夢の雫、黄金の鳥籠』も、やはりハレムを舞台にした作品だ。

 今なぜイスラム世界の後宮である「ハレム」(日本では「ハーレム」とも表記)が人気なのか。『ハレム―女官と宦官たちの世界―』(新潮選書)を刊行した、九州大学准教授の小笠原弘幸さんに話を聞いた。

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ハイスペックな官僚組織としてのハレム

――今なぜ「ハレム」がブームになっているのでしょうか?

 ブームの背景には、オスマン帝国研究そのものが、今かつてないほどの勢いをもっていることがあります。

 じつは一昔前のトルコ共和国では、オスマン帝国を廃してトルコの近代化を成しとげたのが自分たちであるという自負から、オスマン帝国にたいして否定的な評価がくだされていました。

 しかし、共和国建国から100年が経とうとする現在では、自分たちの偉大な祖先としてオスマン帝国を肯定的に評価する意識が定着しました。それに伴い、ハレムについても否定的なイメージが見直され、オスマン帝国の国政と宮廷文化の一翼を担ったハイスペックな官僚組織として、研究者たちのあいだでも再評価されているのです。

 そのような研究の流れを受けて、トルコで2011年に「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~」が製作され、世界中で大ヒットとなり、日本でも熱烈なファンを生んでいます。

「艶っぽい空間」というイメージは西洋人によって広められた

――「ハレム」といえば、艶っぽい空間というイメージがあります。

 それは、西洋人が広めたイメージですね。たとえばフランスの画家ドミニク・アングルは、ハレムをモチーフに下記のような絵を描いています。

 アングルの絵からみてとれるように、西洋人にとってハレムは、性的なイメージを強く喚起し、扇情的な好奇心を満足させる存在でした。イスラム世界の専制君主が多数の女性を隷属させ、官能と放埓(ほうらつ)のかぎりをつくす場であるとして、偏見と憧れがないまぜになったまなざしを向けられつづけたのです。

――日本でも「ハレム」あるいは「ハーレム」という単語をネットで検索してみると、すごい状態になっていますね(笑)。

 「ハレム」の語は、いまや「中東・イスラム世界の後宮」という歴史的文脈から切り離された一般名詞として、男性が性的関係を目的として複数の女性を侍(はべ)らせる空間について用いられています。また、動物学においても、オスが複数のメスを擁する形態のことを「ハレム」というように、学術用語にすら導入されています。

ハレムには「性」ではなく「聖」という意味があった

――そもそも「ハレム」とは、どんな意味の言葉なのですか?

 アラビア語の「ハラム」に由来しており、もともとは「禁じられた」という意味です。そこから派生して、「聖なる」「不可視の」あるいは「タブーとされた」という意味を有するようになりました。ですから、アラビア語では、いわゆる「後宮」のみをさす言葉ではなく、かるがるしく立ち入ることが許されない区域、たとえばイスラムの聖地にも、この単語が使われます。

――ハレムには「性」ではなく「聖」という意味があったんですね。

 もちろん皇帝の後継ぎを確保するための後宮ですから、性的な営みはハレムにおいて重要事項でした。しかし、それは猥雑なものではなく、厳格に管理されたものでした。皇帝の寵愛をめぐって無用な争いが起こらないように、妻妾たちの序列も基本的に年功序列で決められていました。

 ハレムは君主のプライベートな空間であったため、その情報が宮廷外に漏らされることは少なく、オスマン帝国の文人たちは、ハレムについて言及するのを差し控えるのが通例でした。

 その一方で、西洋人の滞在者や旅行者は、世間が好む題材であるハレムについて、積極的に言及しました。しかし彼らの扇情的な語りは、根拠に乏しいうわさ話やゴシップにすぎないことも多く、ときに尾ひれがついて語り継がれてきたのです。

公文書のデジタル化によって進んだ最新研究

――近年、研究が進んだことにより、ようやくハレムの実際の様子が明らかになってきたということですね。

 オスマン帝国は、高度に官僚制が発達しており、膨大な点数の公文書が残っています。数十年前までは、文書館の閲覧室に配架された手製のカタログを調べ、時間をかけてひとつひとつ史料を請求し、少しずつ文書を読み進めるのが研究のスタイルでした。

 しかし現在、トルコでは公文書のデジタル化やデータベース化が進み、これを利用することで質の高い研究が続々と著されています。私が『ハレム―女官と宦官たちの世界―』を執筆するうえでは、こうした研究に大きな恩恵を受けています。

 せっかくの好機ですから、ぜひ日本の皆さんにも、ハレムの正しい情報に触れていただければと思います。「オスマン帝国外伝」をはじめ最近のハレムを舞台とした娯楽作品は、時代考証も比較的しっかりしているので、歴史的背景を押さえておくと、より深く楽しく鑑賞できると思います。

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小笠原弘幸(おがさわら・ひろゆき)
1974年、北海道生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。2013年から九州大学大学院人文科学研究院イスラム文明史学講座准教授。専門はオスマン帝国史およびトルコ共和国史。主な著書に『イスラーム世界における王朝起源論の生成と変容』(刀水書房)、『オスマン帝国』(中公新書、樫山純三賞受賞)、『オスマン帝国英傑列伝』(幻冬舎新書)など。

デイリー新潮編集部