なぜ「ムカつく」は「不快」を意味するようになったのか…病気のデパート「夏目漱石」を通じて「社会の胃腸化」を専門家が説く
今年は夏目漱石の代表作『吾輩は猫である』が発表されてから120年という節目にあたる。しかし、漱石は長いし、学生時代に読んだきり……という方は、これを機会に読み直すと新たな発見があるかもしれない。英米文学を専門とする阿部公彦東京大学教授は「胃腸」をテーマに漱石作品を分析しつつ、「社会が胃腸化している」と指摘する。【山内宏泰/ライター】
【写真】『吾輩は猫である』から120年で明かされる漱石の「秘密」
(4月23日に行われた新潮社・本の学校ウェビナー 『吾輩は猫である』から120年! ビジネスパーソンのための「令和の夏目漱石」 ~“胃腸文学”はなぜ現代まで読み継がれているのか~ をもとに再構成しました)
【前後編の後編】
メンタル面での不調も
夏目漱石といえば胃弱のイメージとともに、メンタル面での不調も抱えていたことでよく知られる。若い時分から神経衰弱となり、ロンドン留学中には状態が悪化し、日本に「夏目狂セリ」と電文を打たれたこともあった。家庭では癇癪持ちで妻子に当たり散らし、被害妄想や追跡妄想の症状もあったらしい。
ともに暮らしていた鏡子夫人は、漱石の乱調に大いに振り回された。夫婦喧嘩はしょっちゅうで、漱石は夫人を責め立て、いつも別れ話が持ち出される。
「そうしてしまいに胃を悪くして床につくと、自然そんなこんなの黒雲も家から消えてしまうのでした。いわば胃の病気がこのあたまの病気の救いのようなものでございました。」(『漱石の思い出』夏目鏡子述/松岡譲筆録)
こうした漱石のメンタル不調も、胃腸と関連していると阿部教授は見る。
「鏡子夫人に言わせれば、胃腸の病があることで、より深刻な頭の病のほうは、どうにか大事に至らず済んでいたということになります。漱石のメンタル面は深層にあってふだん陰に隠れており、その好不調の波は、表から見えやすい胃腸に真っ先に表れていたのでしょう。漱石作品で、頭の不調や病が言及されることは少ないのは、胃弱の描写によってメンタル面のことまで暗示していたのだとも読めます。
読者としては、登場人物たちの胃弱的な身体反応を追体験しつつ、これがその人物のメンタルも表しているのかも、などと想像しながら読んでいけばいいのだと思います。
漱石作品は胃腸にかぎらず、登場人物の身体性をしっかり書き込んでいます。『三四郎』では人物たちがひじょうによく歩き回りますし、『道草』だと主人公は人に付け回され、『明暗』ではゴロゴロしてばかり。人物がどう世界と遭遇していくかが身体的な行動として書かれていて、それが作品ごとの雰囲気をかたちづくっています」
なるほど漱石の作風の多彩さは、脳内で小器用に拵えたものではなく、身体性を通して生み出されたものだったのである。
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