「実は起業家精神に溢れていた」…ビジネスパーソンが読み直すべき「夏目漱石」はなぜ「胃腸」の不調を描いたのか
誰もが学生時代に読んだ経験がある作家といえば夏目漱石だろう。ひと昔前は千円札の「顔」としておなじみだった漱石は今年、節目の年にあたる。デビュー作である「吾輩は猫である」が発表されたのが、1905年(明治38年)、ちょうど120年前の出来事だった。文学史を変えたと言える漱石をビジネスパーソンが改めて読み直すのにどんな要素に着目すべきなのか。英米文学を専門とする阿部公彦東京大学教授に「胃腸」という視点で解説してもらった。【山内宏泰/ライター】
【写真】『吾輩は猫である』から120年で明かされる漱石の「秘密」
(4月23日に行われた新潮社・本の学校ウェビナー 『吾輩は猫である』から120年! ビジネスパーソンのための「令和の夏目漱石」 ~“胃腸文学”はなぜ現代まで読み継がれているのか~ をもとに再構成しました)
【前後編の前編】
「胃弱派」文学者の代表格
『こころ』『夢十夜』『坊っちゃん』『吾輩は猫である』……。誰でも一度は触れた覚えありなのが、夏目漱石作品だ。好きな作家として名を挙げる向きも多いが、お気に入り作品を問うと人それぞれ、かなりのバラツキが出るのも特徴だ。
まずはその生涯を駈け足で振り返ってみる。1867年(慶応3年)に江戸の牛込馬場下横町で生まれた漱石は、正岡子規と交遊しながら、1893年(明治26年)帝国大学(東京大学)を卒業。さらに大学院も出て、松山と熊本で教師を務める。2年間のイギリス留学を経て、帰国後、帝国大学の講師となるが、その傍ら『吾輩は猫である』を執筆。作家となる礎を築いたのはこの頃だ。その後、大学を辞めて東京朝日新聞社に入社。『三四郎』などの代表作を次々と執筆していく。1916年、49歳となった漱石は持病の胃潰瘍が悪化し、逝去。『明暗』は未完の名作として現在に知られる。
特に、漱石は言文一致を確立し、文学史上でも重要な作家とされる。
阿部教授は漱石をどう読み解くか。まず、漱石の多才さと、作品の多彩ぶりを指摘する。
「文体や構成はもちろんのこと、作品の入口の設け方や、読者の誘導法まで、夏目漱石は一作ごとに新しいスタンスを打ち立てようと創意工夫をしました。漱石自身も、作家としての在り方を模索し、文学を通して新しい時代を切り拓こうという起業家精神に溢れていました。留学や教師生活を経てから転身したので、作家としての活動期間は短く、実働は10年余りに過ぎません。それなのに、あれだけ多様な活動と作品を為したというのは、並大抵のことではありません」
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