「大量の羊の死骸からサリンが…」「核兵器を本気で作ろうとしていた」 オウムがオーストラリアで進めていた驚愕の計画の全容
牧場内には研究所も
ニール氏によると、この辺りには質のいいウランを求め、世界各国の企業が調査に来るという。オウムが決してやみくもにではなく、ウラン採掘を本気で試みていたと聞き、空恐ろしい気がした。
さらにオウムは牧場の中に研究所を造っていたという。ニール氏に案内してもらい、その場所に向かうと入り口にはペンキで「DANGER」と書かれていた。研究所とはいえ工事現場の作業員宿舎のような平屋建てだ。当時の痕跡はほとんどなかったが、ニール氏が見せてくれた95年の映像では扉に看板が掲げられていた。その名は「豊田研究所」。
実は、この「豊田」も事件に深く関わっている人物の名前だ。科学技術班の豊田亨(とおる)である。東京大学大学院で物理学を学び、後に地下鉄サリン事件の実行犯となった。なぜ東大でもエリート中のエリートの物理学を専攻しながら豊田はカルトに吸い込まれてしまったのか、疑問に思う読者もいるだろう。
豊田は私と同学年で、いわゆる“バブル世代”。入信、出家したのは日本中がバブル景気に浮かれていた80年代後半から90年代初頭だ。金さえあればいいのか?などと当時の風潮に反発した“真面目な学生”たちが、精神世界の充実を求めオウムに取り込まれてしまったのだと私は思う。
大量の羊の死骸からサリンが
そして私はこの地でオウムのさらなる恐ろしい計画を知ることになる。
「この西オーストラリアで彼らはサリンを製造し実験をしたのです」
そう断言したのは、州警察でテロ対策に関わっていたデビッド・パーキンソン氏だ。当時の映像を見ると重装備に身を固めた捜査官たちの姿があった。焼け跡から重要な証拠物を拾い上げている。デビッド氏が証言する。
「彼らは去る前に大きな穴を掘りすべての証拠を隠しました。そしてガラスの破片さえも高熱で燃やし尽くしたのです」
そして、現場から発見されたのは大量の羊の死骸だった。死んだ羊からサンプルを取り、分析すると驚くべき結果が出たという。
「羊の毛からサリンが使われたという証拠が出た。羊たちはサリンによって死んだのです。彼らは可動式の柵で狭い地下鉄のような空間を作り、羊たちを隙間なくつめこみました。そしてサリンをまいたのです」
サリン散布の実験が日本から8000キロ離れた西オーストラリアで行われていたという驚愕の証言。この翌年には松本サリン事件が起きている。つまりオウムは動物を使い、この地で予行演習を行っていたのだ。
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