ススキノ事件では自宅から発見、会津若松事件ではショルダーバッグに入れて自首…頭部が切断された5つの事件から見えること

国内 社会

  • ブックマーク

“冤罪のヒーロー”

 1996年に起きた「足立区首なし女性焼殺事件」は、“冤罪のヒーロー”が殺人犯として逮捕された事件として知られている。

「この年の1月、東京都足立区の駐車場で女性の焼死体が発見されたのですが、頭部は切断されて行方不明でした。そして4月には、足立区の公園で5歳の少女が誘拐され、首を絞められ意識不明となる事件が発生。警視庁は当時59歳だった清掃作業員の小野悦男を殺人未遂などの容疑で逮捕しました。すると小野のDNAと焼死体の発見現場で採取された体液のDNAが一致したのです」(同・記者)

 小野の自宅裏から頭部の切断に使われたノコギリや頭蓋骨が発見され、冷蔵庫からも遺体の一部が見つかった。

「被害者は41歳の女性で、近所の公園で知り合って同棲するようになったそうです。小野は取り調べに、『口論の末、頭をバットで殴ったら死んでしまった。彼女の実家に骨だけでも返したくて遺体を焼いたが、うまくいかずに頭だけを持って帰った』と供述しています。しかし、この供述は小野の一方的な言い分であることに留意する必要があります。頭部を切断したことは、事件の本質が“快楽殺人”だった証拠だと指摘する専門家もいるからです」(同・記者)

「史上最劣の殺人鬼」

 なぜ小野は“冤罪のヒーロー”と呼ばれていたのか。1968年から74年にかけて、千葉、埼玉、東京で、10人近い女性が相次いで殺害される「首都圏女性連続殺人事件」が発生した。被害者の多くは20代で、殺害方法など手口に共通点があったほか、犯人の血液型は大半がO型。そして小野の血液型もO型だった。

「74年7月、千葉県松戸市の信用金庫に勤務していた20代の女性が行方不明となり、9月に遺体が発見されました。千葉県警は38歳の小野を逮捕し、当時のマスコミは『首都圏女性連続殺人事件』の犯人が逮捕されたと連日のように報じました。86年に千葉地裁松戸支部は無期懲役の判決を下しましたが、91年に東京高裁が自白に信用性が乏しいとの理由で逆転の無罪判決を言い渡し、判決は確定しました。小野の逮捕は冤罪と認定され、国から賠償金として約3600万円が支払われたほか、著書も出版しました」(同・記者)

 小野は96年の「足立区首なし女性焼殺事件」では犯行を認めたが、「首都圏女性連続殺人事件」については最後まで無罪を訴えた。実際、1件の殺人事件については別の犯人が逮捕されている。しかし、最大で9件の事件については、法曹の専門家からも小野が犯人だった可能性が指摘されている。

 74年12月、読売新聞は小野の逮捕を受けて「史上最劣の殺人鬼」と報道。91年に訂正と謝罪を行ったが、結局は当初の「殺人鬼」という表現は正しかったのだ。

次ページ:“優等生”の犯罪

前へ 1 2 3 4 5 次へ

[3/5ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。