ススキノ事件では自宅から発見、会津若松事件ではショルダーバッグに入れて自首…頭部が切断された5つの事件から見えること
「頭部」の類似事件
父親の修容疑者は楽器演奏が趣味で、仲間とバンドを組んでライブに出演することもあった。自身のSNSには“奇矯”と評されても仕方ないような衣装でステージに立つ写真を公開していた(註2)。
娘と父は協力して凶器を選択。犯行当日は父が娘を車でホテルに送り、娘が被害者を殺害して頭部を切断。頭部を持ってホテルから出た娘は父親の車に乗り、2人は現場から逃走した──。
両容疑者が事前に殺害計画を練っていたことは明らかだ。しかし、だからこそ疑問が生じる。なぜ父娘は被害者男性にそれほど強い殺意を抱いたのか?
やはり真相解明のポイントは、なぜ瑠奈容疑者が被害者男性の頭部を切断し、なおかつ持ち去ったのかという1点に絞られる。
「瑠奈、修、浩子の3容疑者は札幌市内の一戸建てに住んでおり、道警の現場検証で被害者男性のものと思われる頭部が発見されました。殺害した遺体から頭部を切断して自宅に持ち帰った事件としては、1997年の『神戸連続児童殺傷事件』を思い出した方もいるでしょう」(同・記者)
この事件は、1997年の2月から5月にかけ5人の小学生が被害に遭い、そのうちの2人が殺害された。当時14歳の中学3年生が逮捕され、世間は震撼した。
「6年生の男児が殺害された事件では、少年は屋外で男児を絞殺し、その場で頭部を切断しました。犯行現場に1日ほど放置した後、自宅の屋根裏に隠し、翌々日に犯行声明と共に自身が通う中学校の校門前に遺棄しました。神戸家庭裁判所は97年10月、少年の医療少年院への送致を決定しました。その際の精神鑑定で“性的サディズム”が殺害の動機だったと認定。事件の本質が“快楽殺人”だったことが明らかになりました」(同・記者)
44歳男が19歳の女性を惨殺
殺人事件で被害者の遺体がバラバラにされたケースは少なくない。だが、頭部を切断した事件となるとかなり珍しい。
「1932年2月には愛知県で『首なし娘事件』が起きました。名古屋市内の鶏糞小屋で頭部が切断され、持ち去られた女性の遺体が発見されたのです。遺体は腐乱しており、乳房がえぐり取られるなど、常軌を逸した損壊状態でした。数日後、木曽川の河原で被害者女性の頭部が発見されました。3月には遺体発見現場の近くで男の首つり死体が見つかったのですが、男は被害者女性の遺体からはぎ取った頭皮と毛髪をカツラのようにして被り、女性の下着も身にまとっていました」(同・記者)
自殺現場からは被害者女性の乳房や財布も発見された。警察の捜査で、自殺したのは44歳の和菓子職人・増淵倉吉と判明。被害者女性は19歳で、増淵と交際していたことも明らかになった。
増淵は関東大震災で経営していた和菓子店を失ったほか、再起を図って移り住んだ名古屋でも再婚した妻と死別するなどの不幸が続いた。その後、被害者女性と知り合って深い仲になるも、年齢差を憂慮して交際を公にすることを憚っていたという。
増淵は将来に絶望して交際相手を殺害、遺体の一部と“一体化”しながら自殺をしたと見られている。
[2/5ページ]