ギフテッド=天才児は誤解 大人の過度な期待がつぶす「子どもの才能」

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ただの賢い子ども?

 さて、ギフテッドの定義を知ると「ただの賢い子どもと同じではないか」と思われるかもしれない。角谷教授が翻訳を担当した『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら――問題解決と飛躍のための実践的ガイド』(春秋社)では以下のように説明している。

〈秀才児とギフテッド児とのいちばんの違いとして強調されているのは、その深さと激しさだ。(中略) たとえば、秀才児は普通の子どもより好奇心がある。一方、ギフテッド児はもっとずっと好奇心が強く、どんどん情報を掘り下げていく。秀才児は読書が好きだ。一方、ギフテッド児はもっとずっと本に取りつかれたように夢中になってむさぼり読む。〉

 角谷教授によると、子どもを小さい頃から見てきた保護者は、ギフテッドという言葉を知らずともその明確な違いを日々感じている場合が多いという。

「ギフテッドの子どもを持つ親は『他の子と違う 』と感じている場合が多く、好奇心も含めた感情が激しすぎることや、同年代の子どもとは興味の対象が異なる様子を心配しています。しかし周りからは自慢だと思われてしまうので相談しづらく、孤独を感じているという傾向もあります。だから、わが子がギフテッドの特性に当てはまると思った親は、喜ぶというよりは安心するという感覚が近いと思います。『ああ、こういうことだったんだ』と合点がいくのです。ギフテッドの枠組みで子どもを見ることが、親子関係の改善に繋がるということもあります」

 とはいえ、ギフテッドの可能性が分かった後も戸惑いは大きいという。

「欧米では、特に父親は、わが子がギフテッドであることをなかなか受け入れられない傾向があると言われています。『普通でいてほしい』という願望ゆえでしょう。才能があることは喜ばしいことではあるけれども、そんなに飛びぬけたことをしなくてもよいので、社会に溶け込んでそれなりに幸せに暮らしてほしいという親の願いは、日本の親にも共通する考えだと思います。実際、才能が育つためには、大人に都合の良い枠組みを打ち破るような言動を、『親だけは受け入れる』というほどの覚悟が必要な時があります」

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