巖さんの死刑判決を書かされ、その後の人生が暗転したエリート裁判官の苦悩【袴田事件と世界一の姉】

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真犯人ではないと確信

「私は殺(や)っていません」と否認する巖さんを、熊本氏はじっと観察した。書面だけで調べるのではなく、皮膚感覚を大事にする男でもあった。閉廷後、熊本氏は「裁判官の私たちが裁かれているような気がしますね」と言った。石見裁判長もうなずくが、高井吉夫裁判官は「やっていないのに死刑になるような事件を自白するはずないだろう」とクロを信じていた。一番若い熊本氏が主任に指名されたので、先輩格の高井氏は面白くなかったのかもしれない。

「殺(や)っていません」は抑揚のまったくない言い方だった。「怖いくらい落ち着いていました。真犯人なら、きょときょとしたり、いろんなことを言ったりするもの。しかし、袴田君は決して強がっている様子ではなく、『裁判所のあんたたちならわからないはずないだろう』と言っているように見えたんです」と、後年の筆者の取材に熊本氏はそう語っていた。

 さらに熊本氏は「(主任に)選ばれたのには理由があって、僕の名が売れていたからなんです」と打ち明けた。東京地裁刑事部での判事補時代、熊本氏は検察の勾留請求を3割も却下していたので、目立つ存在だったのだ。逃亡や証拠隠滅の恐れがなくても、裁判所は検察の勾留請求をほとんど認めてしまうのが一般的なため、検察から「生意気な若造判事補」に対して、「夜道に気をつけろ」など、陰に陽に脅しの電話すらあったという。

 当時のことについて、熊本氏は2007年4月14日に東京経済大学の大出良知教授(刑法)のインタビューに答えている。『刑事弁護51号』に収録された発言を一部引用する。

〈第2回公判、これが私にとって初めての公判で、裁判長に、罪状認否から始めていただきたいとお願いした。私が初めて袴田君を見たのはその時です。私とたいして背格好は変わらない。ちょっと朴訥な感じで、きちっと前向いて、裁判長が、今読まれた起訴状についてどうですか、と言ったら、たった一言。「私はやっていません」。

 その次に、裁判長が、私へのサービスか知らないけれども、何か聞こうとしたんですよ。私はちょっと袖を引っ張って、余計なことをしないでほしいと言ったら、黙っていてくれました。

 東京地裁にいた頃も否認事件はありましたが、「実はこうだ」「ああだ」「私はそんなことはしていない」とか、さらにぺらぺらしゃべる被告人がいるんですね。しかし、袴田君は、「私はやっておりません」と言ったきりで、下を向くでもないし、正面に向かって裁判長の顔をじっと見るだけでした。「これは違う」「ちょっと変だな」と思いました。

 その日はこれだけで終わりました。裁判長がそのまま帰ろうとしたんですが、裁判官席の裏の控室で立ち話をしたんです。「裁判長、これはもしかしたら私たちの方が裁かれているようなものじゃないですかね」と言ったら、裁判長が同意して「前から同じようなことを感じていたんだ」というような感想を漏らしていました〉

 熊本氏は自宅に持ち帰った証拠記録を調べた上に、法廷で巖さんと検事や裁判官、弁護士とのやり取りを見て、「真犯人ではない」との心証を持ってゆく。さらに、検察にすべての警察調書を提出させた。これも異例だった。「殺しました」と言っているのに、動機が「日替わり」で変わることに強い疑問を持ったからだ。

 強盗殺人で4人殺害が認定されれば死刑は免れない。巖さんの命は、石見勝四裁判長と右陪席・高井吉夫、左陪席・熊本典道の3人に委ねられていた。

 熊本氏は静岡地裁の評議で、「死刑になるのに自白するはずがない」と有罪の主張を崩さない石見裁判長と右陪席の高井氏を説得できなかった。高井氏に対し「あんた、それでも裁判官か」と怒ったという。熊本氏は主任だったため、意に反した死刑の判決文を書かされた。悩みぬいて書き上げ、せめてもの思いから末尾に捜査批判を加え、それを読んでもらうことを石見裁判長に了承させたのだった。

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