巖さんの死刑判決を書かされ、その後の人生が暗転したエリート裁判官の苦悩【袴田事件と世界一の姉】

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三者協議は終了 今年度内に再審可否が判断

 さて、現在の話に戻そう。巖さんの裁判のやり直しを求める東京高裁での三者協議は、事実上、9月26日をもって終了した。

 終了後に会見した西嶋勝彦弁護団長は「事前提出する最終意見書では、巖さん本人の弁については、基本的に書面かビデオを求めてきた」などと説明した。最終的な意見陳述をする12月5日には、巖さんの姉・ひで子さん(89)も法廷に入る。可能であれば巖さんも出廷するという。

 筆者は「拘禁症の影響が劇的には回復していない中で、巖さんの陳述が頓珍漢であればどう裁判所は判断するのですか?」と質問した。村崎修弁護士は「それでも巖さんの姿を見れば、裁判官が、こんな人が殺人などするはずがないと思ってくれるはず。どう伝えるかもマスコミの責任ですよ」などと話した。西嶋氏は「長い拘置所生活であのような状態になってしまっていることを、裁判官に見てもらうだけでも十分だと思います」と加えた。筆者の発した「頓珍漢」について、ある支援者が「その言葉に囚われないように」と記者たちに注意喚起していた。

 拘禁症状の影響が強い巖さんの保佐人として、ひで子さんのほかに弁護団の中で浜松市に事務所を構える村松直美弁護士を裁判所に申請した。

 西嶋氏は「年度内には再審開始についての決定を出すと裁判長は言ってくれました。再審開始決定は、いつもは不意打ちだが、3週間前に連絡してくれることも約束してくれた」と話した。

 11月に裁判所は、静岡で行われている検察側の実験を直接見聞する。弁護団の小川秀世事務局長は「検察側の実験は、(犯行時の着衣とされる)5点の衣類の血痕の赤みが残るようにと実験したものでしかない。必ず再審開始決定にしてくれると思っています」と話した。

 巖さんの87歳の誕生日である来年の3月10日頃、きっと朗報が届くことだろう。その前月に、ひで子さんは90歳を迎える。

 この日、ひで子さんは浜松市からリモート会見し「最近の巖は歳のせいか、前ほど歩かなくなったのですが、(支援者が運転する)車で静岡大学に行ったり、浜名湖を一周したりしています。それでも最後にはアクト(浜松駅のショッピングゾーン)を1時間くらい歩くようです」などと明るく語った。

 記者にコロナ対策について聞かれると「巖はマスクを持って出かけ、食堂ではしているようです。歩いていてしてないと心配してくれる人が声かけてくれたりするようで、お店を覗く時なんかは、言われてマスクをしたりするみたいです。私は朝早くさっと買い物してしまうだけなので、コロナになんか罹らないと思ってるんですけどね……。あんまり対策していません」と笑った。

 三者協議では必ず上京していた「市民の会」の山崎事務局長は、この日、珍しく欠席した。死者も出た先の台風15号の豪雨では、浜松市の袴田姉弟の住む家は少し高台にあり、被害はなかったが、静岡市清水区で川の近くに住む山崎氏は、経営する塾の駐車場が水浸しとなり「車(昔ながらのマニュアル車が好きで愛用していた)が座席まで浸水して、使えなくなってしまった。預かっていた巖さんの裁判関係の資料も座席で濡れてしまい、乾かさなくては」と嘆いていた。続く断水でも不自由しているようだった。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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