沖縄激戦地で発掘された「存在しない名字のハンコ」 調査の結果明らかになった驚きの真実とは

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

 6月23日は沖縄県の「慰霊の日」だ。戦争末期、日米合わせて20万人以上が犠牲となった凄絶な戦闘。その激戦の跡地で、戦没者の遺骨や遺留品を掘り続ける元新聞記者同士の夫婦がいる。77年近くも泥土の中で眠っていた謎のハンコが語る、沖縄戦の真実とは――。【浜田哲二/元朝日新聞カメラマン】【浜田律子/元読売新聞記者】 

 ***

 沖縄県で戦没者の遺骨収集を続けている。約30年間勤めた朝日新聞社を2010年に退職して以来、毎年1月中旬から3月中旬までの2カ月間、妻と二人で県内にアパートを借り、本島の中南部にある洞窟壕やジャングルなどに埋もれた戦禍の犠牲者と向き合ってきた。

 朝日新聞で写真記者(カメラマン)だった頃から、社内でも一風変わった存在と見られていた。ブラック企業の先駆け的な組織で、取りにくい休暇を使って沖縄へ通い、出張の際にも空き時間を利用して、簡単な道具と素手で地面を掘り続けた。リベラルな社風として知られる会社で、右翼的な取り組みと揶揄される遺骨収集を記事にしたり、自ら発掘作業にあたったりしたのも、変人と呼ばれたゆえんだろう。

活動歴は20年

 若い頃は、カンボジアやアフガニスタンなどの戦場、インドネシア・カリマンタン島の先住民の取材など、過酷な現場を駆け回った。が、職場内で横行するセクハラや暴力事案の仲裁に入った途端、左遷の憂き目に遭った。

「正義人道に基いて……」と掲げた綱領は空念仏か、と大いに憤り、腐った。国の硬直した官僚主義を批判する新聞社が、それ以上の悪しき官僚的な組織だと気付いた頃から、早期退職を意識した。そんな時に出会ったのが遺骨収集。雇われ記者時代を含め、活動歴は足掛け20年に及ぶ。

 沖縄が本土に復帰してまもなく50周年を迎えようとしていた今年2月、新聞社時代の後輩記者S君が、「浜田さん、私も勉強したいので活動に参加させていただけませんか」と声を掛けてきた。節目の年に新しい切り口を欲しとるな、と勘繰りつつも、先の大戦で犠牲となった方々へ想いをはせるのは良いこと。二つ返事で受け入れて、糸満市の現場へ連れて行った。

次ページ:遺骨、遺留品が見つかりやすい地形

前へ 1 2 3 4 5 次へ

[1/6ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。