沖縄激戦地で発掘された「存在しない名字のハンコ」 調査の結果明らかになった驚きの真実とは

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存在しない戦没者

 今回見つかった遺留品は、記者としてはとても興味深いもの。なぜ国内に存在しない名字のハンコが、77年前の沖縄の激戦地にあったのか。しかも、壕内に堆積した約1.5メートルもの土の下に。その土層には、当時の硬貨や旧日本軍が使った無線機のバッテリーなども一緒に埋もれていた。

 どう考えても、戦時中にその壕に隠れていた人物が所持していたとしか思えない。であるのになぜ、戦没者名簿に名前がないのか。あるいは、生き残って復員した方が落としていったのか。身元判明につなげるべく調査と取材を開始した。

 まず、「佐岩」が日本に存在しない姓だとすれば、単純に考えて下の名前かもしれない。

「サガンさん、という外国人がアテ字で作ったのかな」。言った自分に「アホか」と突っ込みたくなるほど、非現実的。現代ならともかく、時は戦時中なのだ。

 二人で悶々としながら、この場所で戦っていた部隊の資料にヒントとなる記述はないか、じっくり再確認する。老眼が進む夫婦、見落としがないとは言い切れない。だが、何度同じページをめくっても、やはり見つからない。

ハンコを重視した日本軍

 あきらめかけた時、哲二が、「名字と名前から1文字ずつ取って組み合わせたとしたら、どうかな」と、資料の一部を指さす。

 そこにあった名前は、「佐藤岩雄」さん。北海道出身の兵士で、大隊の第3中隊に所属していた。さらに哲二は、「ハンコの発掘地点と戦没場所の地名が完全に一致している。ここは第3中隊が守備していたよね」と興奮を抑えながら呟く。

 確かに。佐藤岩雄さんだと、不思議なほど合致する点が多い。ただ、ありえるのかな……。

「あんたもハマテツと呼ばれていたけど、『浜哲』なんてハンコは作らなかったよ」と突っ込む。でも、一筋の光明になるかも。

 仮に推理が当たっているとして、なぜ名字と名前の1文字を結合させたハンコが必要だったのだろうか。改めて資料を繰ると、佐藤姓の将兵が大隊に13人存在することが判った。そのうち、発見した壕近くに展開していた三つの小・中隊に計8人、佐藤岩雄さん所属の第3中隊には4人いたと記録にある。

 当時の軍隊では、給料や武器、装備品の支給時には、個人の印鑑が必要だったとされる。満洲に出征した青森県出身の旧日本兵、工藤喜市さん(享年96)は、給料支給前日に、ハンコ掃除をさせられたという。

「きれいに、はっきりと押さないと、連帯責任で全員が殴られたからねえ。だから支給日前日は、『ハンコ掃除ハジメ!』の号令で、全員が一心に磨いたものよ」と教えてくれた。

 旧日本軍の中で、かくも重要視されていたハンコ。同じ部隊に何人もの佐藤さんがいたら、支給の責任者だった主計の兵士も困惑したろう。ゆえに、佐藤姓の兵士らに急遽、姓名の1文字ずつを組み合わせたハンコを作らせたのかもしれない。

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