日本兵が戦地に携行した「寄せ書き日の丸」が“返還ラッシュ”の理由 遺族と返還者が感じる“癒やし”

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「武運長久」「尽忠報国」といった言葉と署名で埋め尽くされた「寄せ書き日の丸」。日本兵が戦地に携行したものだ。それがコロナ禍の今、続々と“帰国”を果たしている。真珠湾攻撃から80年。作家・石井希尚氏が“日の丸”に関わった人々の数奇な運命を綴る。

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「私は突然、英霊に打たれ、言いようのない感動を覚えたのです」

 そう語るのは、オレゴン州に住むレックス・ジーク(68)だ。

「もしかしたら、おかしなことを言っていると聞こえるかもしれませんが、私たちは英霊に選ばれたのだと思っています」

 フリーランスの写真家として世界を巡っている中、ニュージーランドで豪華客船の旅を楽しんでいる日本人客向けのセミナーの依頼を受けた。そこで、カスタマーケアをしていた日本人女性ケイコ(54)と出会い、恋に落ち、スピード結婚を決めた。2009年のことだ。

 結婚前、彼女の両親に挨拶するために日本を訪れた。その際、ケイコがあるストーリーを打ち明けてくれた。それを聞いていたとき、突如、上から何かが降ってくるような神秘的な体験をしたのだという。それが彼の言葉を借りれば「英霊」だというのだ。

 彼の人生はその瞬間から変わってしまった。残りの人生をこのために捧げなければならない。自分たちは選ばれたのだから。そう信じた彼は、ケイコと二人、それまでの人生で思い描いたことさえない事業に着手した。

 それが、旧日本兵の遺留品返還のために活動する非営利団体「オボン・ソサエティ(OBON SOCIETY)」である

遺骨の代わりの石と死亡証明書しかなかった

 レックスの人生を変えたケイコのストーリーとはどんなものだったのか。

「この人と残りの人生を過ごすんだと決めたとき、これは伝えておこうと思ったんです。自分の家族に起こった不思議な体験を」

 ケイコはそう言って話し始めた。

「私の祖父はビルマ(現ミャンマー)で戦死しました。両親もそれ以外のことは何も知りませんでした。遺骨の代わりに、現地で拾われたであろう小さな石と死亡証明書。それだけが送られてきたんです」

 戦争のことを話すのは、家族内でも学校でも、歓迎される雰囲気はなかった。

 ところが07年、カナダから突然、祖父が所持していた「寄せ書き日の丸」が戻ってきた。

「寄せ書き日の丸」とは、第2次世界大戦時、出征する兵士のために、家族や親族、また友人知人たちが思いを込めた寄せ書きを白地に認(したた)めた日の丸のことである。兵士たちは、その日の丸をお守り代わりに戦場で肌身離さず身に着けていた。

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