日本兵が戦地に携行した「寄せ書き日の丸」が“返還ラッシュ”の理由 遺族と返還者が感じる“癒やし”

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戦利品は癒やしと家族愛へ

 一方、取材の最中、ケイコとレックスは何度も繰り返しこう言った。

「寄せ書き日の丸は戦争のシンボルで敵意を煽るとか、嫌な記憶を思い起こさせるとか、否定的な印象を持つ人がいますが、実際には全く逆です」

 旗が返還されることは、双方の家族にとって癒やしなのだという。ケイコ自身の体験からもわかるように、日の丸が戻ってくることは、遺族にとっては「失われていた」歴史のピースが見つかることだ。愛する人の最期の姿、それはたとえ壮絶な死であったとしても、なるべく正確に知りたいと思うのが人情だろう。どこで、どのようにしてこの世での最期を過ごしたのか、周りに誰がいたのか。それは寄せ書き日の丸が返還されることを通じ、文字通りその場にいた敵兵の証言によって明らかになる。

 それを知らされた遺族は、敵意をむき出しにし「よくも殺したな」とも思わないし、「大切な旗を持ち去るなんて泥棒だ!」などと相手を責めることもしない。むしろよくぞ持っていてくれましたと感謝する。

 返還した側も、自分たちに属すべきではないものを、ついに然るべき人に返すことができたと安堵し、遺族の喜びに触れ、家族愛という、人間の営みのもっとも基本的な善に触れることで癒やしを体験するのだ。

 かつての戦利品は、時を経て癒やしと家族愛の象徴へと変貌を遂げた。

返還を進める人々は軍国主義ではない

「寄せ書き日の丸」返還のために尽力している人々が、軍国主義的な考えに少しでも加担していると考えるなら、それは大きな間違いだ。

 実際、返還のためにオボン・ソサエティにアプローチしてきた人の中には、戦争の無益さについて強く訴えかける人もいる。

 妻サンディーと共にリビングのリクライニング・チェアに座り、少し斜に構え懐疑的な表情を浮かべながら話すフレッド・フォグ・ジュニア(63)はそんな一人だ。

「父は硫黄島でパトロール・ソルジャーでした。日本兵たちが潜んでいないか、捜索する仕事です。父は、自分の元に投降してきた12人の日本兵を、無事に本国に送り返したことを誇りにしていました。その人々の写真もあります」

 彼の父フレッド・フォグ・シニアは、硫黄島での血なまぐさい戦いに従事した。

 言葉を選びながらゆっくり話すフレッド・ジュニアからは、戦争を生み出す社会の欺瞞に対する静かなる義憤が感じられた。

「この社会で嫌いなことは、ゲームでも映画でも、戦争がテーマとなったものは、善と悪が単純に分かれていて、必ずヒーローが仕立て上げられているところです。本当は違う。兵士たちは戦争などしたくなかったのに国が始めたから道具として利用され、多くの者たちが死んだのです」

 まるでその場に居合わせたかのように話す。それもそのはずだ。彼の父は戦場で詳細な日記をつけていた。フレッド・ジュニアはそれを全て読み尽くしているのだ。公になれば人類にとっての貴重な財産たり得る手記は、今はまだ、彼と彼の家族だけのアーカイブだ。

「あなたの父親は、なぜ旗を日本兵からとって持ち帰ったのだと思いますか? 彼にとって旗とはなんだったのでしょう?」

 私が尋ねると、フレッド・ジュニアは、話し過ぎを注意するかのようにしばらく沈黙した後こう言った。

「Survived(生き残った)……」

 彼の口からまず出たのはこれだった。

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