袴田巖さんに異例の支援を続けたボクシング界 輪島功一さんが振返る裁判所への怒り【袴田事件と世界一の姉】

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巖さんを嘘つき呼ばわりした当時の新聞報道

 さて、巖さんの最も有名な写真は、1961年4月19日にマニラで撮影された、リング上で対戦相手(フィリピンバンタム級1位のデビッド・マーシング)と向き合いファイティングポーズを取った勇姿だ。トップ級プロとして海外遠征もしていた。ところが、1966年8月29日の毎日新聞(静岡版)は事件後の取調模様をこう書いている。

《雑談の中で「ボクシンングの選手当時、マニラに遠征したが、あの頃が懐かしい」とさも思い出にふける様子。刑事が調べたところ、袴田は一度も海外遠征に出かけたことはなかった。「話がボクシングに触れると、まるで人が変わったようにしゃべりまくっているが、おそらく大半はウソだろうな」と係官もあきれている》

 巖さんが大法螺吹きであることを強調した記事を、大半の読者は疑わなかっただろう。

 ひで子さんにその話を向けると「あの時代はそんなもんですよ。みんな警察の言った通りに書くだけなんだから」と一蹴された。だが、筆者はこう返した。「ひで子さん、あの時代だけではないですよ。僕も若い頃、あちこちで警察担当の記者をしていましたが、警察の発表内容を嘘かもしれないなんて調べたことなんか一度もなかったですから」。筆者が特別怠慢だったわけでもなかろう。当時の記者クラブ仲間からも、警察発表を疑って自分で調べ直したという話など聞いたこともなかった。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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