袴田巖さんに異例の支援を続けたボクシング界 輪島功一さんが振返る裁判所への怒り【袴田事件と世界一の姉】

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「もう一度、助けてやらんといかん」

 12月18日に浜松市で行われた映画監督・脚本家の周防正行氏の講演会では、周防氏の講演後、スクリーンにビデオメッセージが紹介された。「Free(解放せよ)HAKAMATA」というスローガンと共に、日本プロボクシング協会で中心的に支援活動をしている新田渉世氏(54)を筆頭に、村田諒太、長谷川穂積、山中慎介ら有名ボクサーらが次々に登場し拳(こぶし)を握ってアピールしたが、最後にドスの利いた声で「フリー、袴田。ウォー! 頑張れー」と締めたのが元WBA・WBC(世界ボクシング評議会)スーパーウェルター級王者の輪島功一氏(78)だった。

 昨年12月には産経新聞のシリーズ『話の肖像画』で輪島氏の一代記が連載された。引退して44年、1970年代の名ボクサーは今も人気がある。同紙では3歳まで育った樺太(現サハリン州)がロシアに占領されて、北海道へ引き揚げてきた時の家族の苦労話も出ている。建設現場で必死に働いた後、プロボクサーに転じ名選手となった。昨秋、筆者が電話取材した時は、「豊原(ユジノサハリンスク)の出身だけど、ソ連出身みたいで嫌なので北海道出身にしてるんだ」と打ち明けていた。

 袴田事件について「まだ俺が現役だった1970年代から、先輩たちが頑張って支援していたんだ。でも、裁判が駄目になって(巖さんが敗訴して)がっかりして下火になってしまった。俺が東日本ボクシング協会の会長になってから、これはもう一度、助けてやらんといかんと思って盛り上げたんだよ。引退した選手は“ボクサーくずれ”なんて言われて馬鹿にされていた。俺は学歴もないけど、『ボクシングやってた男なら人を殺すんか』という気持ちだったので、思ったことをどんどん言ったよ」と話した。

輪島氏の怒り

 様々な支援集会に馳せ参じ、東京拘置所や静岡地裁にも行っていた輪島氏はこう振り返った。

「裁判所で応対した奴に『死刑だって決めたんだったら早く絞首刑を執行したらいいんだ。本当は死刑じゃない(巖さんが無実)ってわかっているからできないんだろう』と言ってやったんだよ。後で聞いたら結構偉い人だったらしいけどね」

 無骨な語りに怒りの気持ちがビンビンと伝わった。そして「ひで子さんは素晴らしい人だよ。本当に信念の女性。普通はいくら身内でも殺人犯と決まってしまえば、距離を置いていくものだと思うけど、全くそんなことはなく、弟を信じ切って頑張り続けている。あんな人はいないよ」と敬服していた。2019年6月に東京高裁が再審開始決定を棄却すると、輪島氏は「巖さんの再収監を許さない」として記者会見も開いている。

 日本のスポーツ界は欧米などに比べ、政治や社会問題などへの意見表明を避ける傾向が強い。特定の人物や団体、政治、社会運動などへの支持表明がマイナスになるリスクもある。ましてや国家権力にたてつくようなことは避ける。しかし、日本プロボクシング協会は微塵も恐れなかった。ボクシング界にはどこか「アウトロー的」な部分が残っている。プロ・アマの差はあるが、仮に巖さんが柔道の名選手だったとして、殺人犯としての刑が確定した後に、柔道界は彼を支援しただろうか。否だろう。ボクシング界に比べて柔道界は保守的な上、警察にも強豪が多く、繋がりが極めて強い。国家権力に弓を引くような支援活動は避けるはずだ。

 ひで子さんは、東京拘置所に面会に行く時に一緒に来てくれた輪島氏について、思い出を話してくれた。

「輪島さんは結局、巖と面会できなかったけど、本当に面白い人でしたよ。面会に行く前、『今日はジジイとババアで手繋いでいきましょか』なんて言って手を繋いだりしました。二人でリングの地下の部屋に行く時なんか『何にもしやせんから』なんて笑わせるんです」

 ひで子さんは10歳ほど年下の剽軽な名ボクサーをいっぺんに信頼してしまった。

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