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「不倫は文化」が生まれた瞬間

「僕は(記者に)言いました。“たしかに悪いことかもしれないし、普通に結婚生活を送っている方は尊敬します。善悪で言えば善でないのもわかる。でも、不倫という恋愛から生まれた文学や芸術、音楽もあるでしょう。愛したり、別れたり、苦しみや葛藤から生まれる文化もあります。それをあなたが悪と決めつけるのには賛同できない”と。そしたら翌朝、『不倫は文化』というタイトルで記事を出されたんです」

 批判は浴びたものの、このときは周囲も火遊びと受け止め、痛手はさほどではなかったそうだ。その証拠に、翌年4月から彼は、テレビ朝日系「スーパーJチャンネル」のキャスターになった。

「僕は真剣で、遊びでとかではなかったけど、最初から家庭を壊す気もなかった。ただ、(妻の松原)千明と(娘の)すみれには申しわけなく思っています。千明にも理恵さんのことを聞かれ、“特別な人なんだ”って言うと、“じゃあ、私はどうなるのよ”と。苦しかったですね。そのうちマスコミが家にも来るようになって、千明は”すみれがピンポンのたびにビクッとするようになったのは、あなたのせいよ”と言う。だんだん別居のようになって、今度は奥さんとすみれがハワイに行くことに。でも、千明には“どうせ火遊び、元の家庭に戻れる”という気持ちがあったんだと思います。親や親戚にも“あんな男はやめておけ”と言われ、周囲の声を遠ざけるためのハワイだったのかもしれません」

 世間の関心も徐々に薄らいでいったが、97年8月、また同じ相手との写真を『フォーカス』に撮られてしまった。

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