「いしだ壱成」困窮離婚 「ぼくと父は何か欠落」発言で振り返る「石田純一」のジェットコースター人生

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都知事選出馬見送りのツケ

 これはさすがにダメージとなったという。

「舘ひろしさんは“役者に倫理を求めるのはおかしい”とフォローしてくださったけど、僕はキャスターでもあった。不倫するヤツが世間を語る資格はない、ということです。98年4月にキャスターを降板してからは、仕事はゼロになって、8年ぐらい所得税を払うのが大変でした」

 2005年には長谷川理恵とも別れるが、

「家庭に戻ったほうがよかったのか、自分に正直に生きてよかったのか、今でも判断できないんです」

 石田がその後、世間を騒がせたのは、2016年9月、舛添要一前都知事辞職に伴う都知事選への出馬表明の際だ。平成の色男から一転、「中折れ男になった」とまで言われた立候補見送りの会見で石田は、野党統一候補に推されなかったことを理由のひとつに挙げたが、この時点できつい“ボディブロー”を食っていた。

「石田が出馬に意欲を見せたのは7月8日のことですが、彼と契約しているスポンサーに問い合わせや取材攻勢がかかったのです。なかでも、大阪のリサイクルショップチェーンなどは、“石田純一氏の政治信条や思想等につきましても、弊社との関連性は全くございません”と発表するほど神経質になっていました」(芸能デスク)

 タレントにとってスポンサー契約は重要な食い扶持のひとつだが、理子夫人との間に子供を2人抱える石田にとってはなおのこと。それでなくとも、3年前には東京の高級住宅街に大邸宅を建てたばかりである。

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