ノルウェー「未来の図書館プロジェクト」を考える 作家は本気を出さないのでは?(古市憲寿)

古市憲寿 誰の味方でもありません 国内 社会 週刊新潮 2021年9月9日掲載

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 ノルウェーには「未来の図書館」と呼ばれるプロジェクトがある。首都オスロ郊外の森に千本のトウヒの苗木を植林し、100年後に、成長した木を使って紙を作り、本を印刷するというのだ。執筆者は計画の始まった2014年から2114年まで毎年1名ずつ選ばれ、既に何作も原稿が提出されているが、各本の内容は2114年まで非公開なのだという。

 夢のあるプロジェクトだと思うが、興味があるのは作家が本気を出すのかということ。たとえば2020年はベトナム出身の詩人オーシャン・ヴオンさんが選出されていたが、どんな名作を残しても、評価されるのは(かなりの確率で)死後だ。2114年までは、映像化されることもなければ、文学賞が与えられることもない。

 SMAPや嵐には優れた曲が多いと思うが、それは音楽家が真剣になったからだろう。自分で歌ったら数万人のファンに聞かれるだけの曲が、もしかしたら数百万人以上の人に届くかもしれない。そう考えて、音楽家はとっておきの作品を提供してきたのではないか。

 同じ理屈で言えば、作家が「未来の図書館」に最高の著作物を差し出すとは思えない。本当に傑作が誕生したなら、今すぐ出版すればいい。「未来の図書館」などに頼らなくても2114年まで読み継がれるだろう。

 そもそも「未来」と名の付くものは、ロマンと危うさが同居している。その日まで世界は平和なのか、事業を継続するための予算は尽きないのか、本というメディアは生き残っているのか。不確かさゆえにロマンがあるわけだが、ロマンはクオリティを保証しない。夢だけはある名もなき人よりも、何十億の収入を得てきたトップクリエーターのほうが、多くの場合、いいものを創り出す。「未来」や「夢」という概念は魅力的だが、失敗の言い訳としても有用な言葉である。

 やや話は逸れるが、中学校を卒業する時、友人とタイムカプセルを埋めたことがある。場所は葛西臨海公園の砂浜。小さなバケツに手紙や交換日記を詰めた。

 しかし僕たちは中途半端に冷静で、未来に懐疑的だった。もしも10年後や20年後に掘り返そうと約束したら、もう疎遠になっているかもしれない。葛西臨海公園もいつまであるかわからない。そんな危惧から、高校1年の1学期が終わる夏休みにカプセルを掘り返すことを決めた。

 しかし約束の日、欠席者が相次いだ。当然である。僕たちは中学卒業後も定期的に会っていたし、タイムカプセルに詰めた手紙の内容も覚えていた。4カ月ぶりに対面したタイムカプセルは、埋めた時からほぼ姿を変えていなかった。

 約束の「未来」は近すぎてもいけないという教訓だが、100年後を見据えた「未来の図書館」はどうなるのだろう。傑作と判断される作品はどれくらい収蔵されるのか。結果がわかるのは2114年。「未来の皆さんの想像力こそが本の力だ」とか、よくわからない言い訳をつけて、白紙で原稿を提出する作家が3人くらいはいそうな気がする。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。