議論百出の「ゆたぼん」中学問題、「不登校新聞」の編集長はどうみているのか

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失敗する権利

 スポーツ指導の現場で、選手の「暴力被害の正当化」によって、体罰が連鎖していくという指摘がある。

 指導者に殴られた選手は「あそこで殴られたから、自分は上達することができた」と正当化し、自身が指導者になると選手を殴るという連鎖だ。

「同じことは教育の現場でも起きています。教師や生徒との人間関係に苦しんだり、一時期いじめのターゲットになったりして、『学校に行きたくない』と思った人は、相当な数に上るはずです。ところが、そうした人々が学校を卒業すると、『あの苦労があったから自分は成長した』と正当化してしまいます。そして不登校のまま学ぶ生徒を見ると、まるで自分を否定されたような気になってしまう。『自分だけ楽しようとしてずるい』と批判するのです。同じ傾向は、ゆたぼんくんを巡る議論でも見られると思います」(同・石井編集長)

 ゆたぼんの将来を心配する声についても、石井編集長は「子供には『失敗する権利』があるという考えがあります」と話す。

「自分の意思で選択した結果が間違っていたのなら、それも重要な学びになります。特に親はどうしても『我が子が間違わないようにしよう』と先回りする傾向がありますが、それは間違いを犯すという機会を奪っていることになるのです」

デイリー新潮取材班

2021年4月17日掲載

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