「山田久志」の人生を変えた「王貞治の一打」 「打たれた瞬間、腰が抜けた」(小林信也)

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 王貞治に初めて会った時、私は訊ねた。

「オールスターと日本シリーズを合わせて910本のホームランを打った中で最も印象深い一本は?」

 二十数年前、NHKの「スポーツ100万倍」という番組の収録前。プロデューサーが、「一本なんて、無理ですよねえ」、助け舟を出した。しかし、王はその声を制してすぐ言った。

「ありますよ」

 あの一本に違いない、私は悪い予感に胸をえぐられた。王の言葉は続いた。

「昭和46年の日本シリーズ第3戦、阪急の山田投手から打った逆転サヨナラ3ランホームランです」

 長嶋ファンにとってずっと心に刺さっていたあの一撃の意味を、王自身も認識していた……。NからOへ、主役交代を意味する象徴的な出来事だった。

 そして令和2年12月、私は山田久志に訊ねた。

「野球人生で大きな転機を挙げるとすれば?」

 山田も即座に答えた。

「昭和46年の日本シリーズ第3戦、王さんに打たれたホームランです。腰が抜けるってああいうんでしょうね。打たれた後、ヒザに全然力が入らない。立とうにも立てなかった」

 マウンドにうずくまったまま、王が本塁で揉みくちゃにされる光景をぼんやりと覚えている。

「どうやってベンチに帰ったのか覚えていません。後で映像を見ると西本監督が迎えに来てくれている。まったく記憶がない」

 阪急ナインはみな茫然としていた。一人だけセンターの福本豊がマウンドに駆け寄り、山田に声をかけた。「ヤマ、帰ろ」。福本もそれしか言えなかった。

長嶋の“ショートゴロ”が

 長嶋ファンにとっては、2死一塁からチャンスをつないだ長嶋の中前打が“嫌な予感”の前触れだった。

「長嶋打った、ショート……、あ、いや、抜けました、センター前ヒットです!」

 ラジオの実況はそんなふうだった。最初は凡打を思わせ、突然、明るく転じた。望みをつないだ長嶋に拳を握りしめる一方で、長嶋ファンは4番王が主役になるだろう未来を予感し、複雑な冷気におののいた……。

「長嶋さんのあのセンター前ヒットも、多くの人の人生を変えた一打でした」

 山田が感慨深げに言った。

「抜けるような当たりじゃなかった。普通ならショートゴロです。阪本さんがゴロをさばいて、そのまま二塁を踏めば終わる、打ち取った瞬間、マウンドで私はそう思いました」

 ところが名手・阪本敏三が、いるはずの位置にいなかった。捕手・岡村浩二のカーブのサインを見て三遊間寄りに重心を傾けたのだ。カーブなら強振した長嶋の打球が三遊間に来るはず。ところが、天才・長嶋は泳がされながら山田のカーブを素直に弾き返した。そして王の一打が生まれる。

「阪本さんはあれでトレードに出されました。岡村さんも一緒にです」

 山田もまた昇りかけた日本一への階段から転落した。

「あの試合に勝ったら翌日も先発の予定でした。第2戦に勝った後、西本監督から言われていたのです。あとは全部お前で行くぞと」

 一戦必勝の短期決戦、“巨人は山田を打てない”とわかれば、徹底して山田で行く、そういう時代だった。

 王に打たれて山田は「変わった」と言う。「野球に対する姿勢があの一本でね。その後はとにかく練習をやった、走ったし、鍛えたし」

 それまで32勝だった山田が、それから17年間で252もの白星を重ねた。

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