「山田久志」の人生を変えた「王貞治の一打」 「打たれた瞬間、腰が抜けた」(小林信也)

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“山田シンカー”の秘密

 高校野球の投手だった私は、山田久志に特別な思い入れがある。高1の夏、アンダースローに転向した。「週刊ベースボール」に載っていた山田と足立光宏の連続写真を切りぬいて、それを手本にシャドーピッチングを繰り返した。足立はすぐ沈み込むオーソドックスなアンダーハンド。高く足を上げ、一度伸びあがってから沈む山田のフォームは画期的だった。リズミカルで力感があり、真似をすると格段の爽快感があった。

 だが、いくら真似をしても、山田のような跳ね上がるスピードボールは投げられなかった。高校生には見抜けない大切な核心があった。山田は腕こそ下から出していたが、「手首は立てていた」というのだ。それは、想像もできなかった。

「入団した阪急に足立さんがいたことが大きかった」

 山田がしみじみと言う。

「1年目はうまくいかなくて0勝。2年目も10勝したけど17敗、散々だった。西本監督が“ヤマ、お前ずっと足立を見ておけよ。そうすれば間違いない”って。自主トレーニングにも何年か一緒について行きました。練習から食事まで全部教わった。でも、シンカーだけは教えてもらえなかった。自分で開発してこそ本物になると言われてね」

 数年後、試行錯誤の末に落差の大きい“山田シンカー”を生み出した。

「下からフォークボールを投げられないか、ずいぶん練習したのですが、どこに行くかわからない。それで指の間隔をフォークより少し狭くしたらストーンと落ちた。私のシンカーは、本当は“スプリット”なんです」

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

週刊新潮 2021年1月14日号掲載

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