都会で進学・就職したものの「Uターン」した女性が抱えるしんどさの正体

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地方に「文化資産」が少ないという現実

 思い起こすとまず、地元には文化資産自体が少ない。

 学校の図書館は本が少ないと当時から思っていて、よく本屋に通っていた。しかし、本や雑誌の入荷数が少なく、取り寄せしないと手に入らない本も多い。映画化されるような超ベストセラーの本や芥川賞・直木賞受賞の本しか置いていないのだ。私は「週刊SPA!」(扶桑社)で記者仕事をしているが、宮崎の本屋には「SPA!」を置いているのを見かけたことがない。唯一、宮崎空港の売店で見つけた程度だ。

 また、母に書籍『されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間』(鈴木大介著・講談社)を勧めたところ、近所の本屋に足を運んだらしいのだが置いておらず、2週間の入荷待ちと言われたそうだ。

 地元ではほとんどの人がカルチャーに触れる機会がない。うちは親が文化資産を与えたがる性分だったので、美術館や博物館によく連れて行かれた。地元の美術館や博物館は空いている。これが当たり前だと思っていたので、数年前、のんびりと昼前に上野の美術館へ伊藤若冲展を観に行ったら3時間待ちの列ができており、日を改めて朝8時半から並んだこともあった。

 時おり、宮崎にも歌手やアーティストが公演に来るのだが、都会だとすぐにチケットが売り切れてしまうはずなのに、宮崎ならほぼチケットを入手できる。

 私はヴィジュアル系が好きなのだが、初めて観たヴィジュアル系バンドのライブはSOPHIAだ。夜の外出は禁止されていたが、中3の頃、親に頼み込んでお年玉でチケットを買って宮崎市民文化ホールへ観に行った。会場はスカスカだった。MCではボーカルの松岡充さんが「今回のツアー、宮崎が一番動員数が少ない! でも、ホールケーキを食べるとき、たくさん人がいたらちょっとずつしか分け合えないけど、少ない人数ならたっぷり味わえる!」と、自虐とも取れる内容を話したのが印象的だった。

 と、こんな環境で18歳まで育った。前置きが長くなったが、そんな時代を一緒に過ごした友人の結婚式。成人式ぶりに会う子もいた。

 結婚したのは、大学は東京、そのまま東京で就職するも3年経ってUターンし、地元で再就職したSちゃんだ。同じテーブルにいたのは私を含めて同級生8人。みんな、中高時代仲良くしてくれた子たちばかりだった。そのうち3人は現在、首都圏で就職している。また、Mちゃんは新婦のSちゃんと同じくUターンした。残りの3人は地元の大学へ進学後、そのまま地元で就職している。

 地元から一歩も出たことがないKちゃんに「久しぶり〜!」と話した直後に言われたのが「東京の人の話し方!」だった。もう13年も東京に住んでいるので、方言はほぼ出ない。当時はまだ東国原英夫氏が知事になる前で、宮崎弁が知られていなかったため訛っているのが恥ずかしく、上京3日目で標準語に矯正した。しかし、数日実家にいると宮崎弁に戻るし、未だに名詞のイントネーションがおかしいと関東出身の人から指摘されることがある。

 地元から出たことがない組と一度は都会に出ている組、結婚式でめかしこんでいるものの、ぱっと見の雰囲気が違う感じがした。方言のせいかもしれないが、なんとなく、地元組はのんびり感がある。一方、都会組は標準語で話しているせいもあり、シャキシャキしているというか、鍛え抜かれている感じがした。

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