66年前、19歳で米国を訪問された「天皇陛下」と映画「ローマの休日」

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まるで別人のようで

 さらに、ロックフェラーは、皇太子を個人的によく知る米国人女性にも支援を求めていた。彼女なら晩餐会をはじめ、米国滞在中のプランを考える上で有益な助言をしてくれるかもしれない。

 この女性こそ、敗戦直後に皇太子に英語を教えるため来日したエリザベス・バイニングで、彼女が英語教師の域を超えて皇室のアドバイザー的存在だったのは明らかだ。実際、後に回顧録(『皇太子の窓』)でこう述べている。

「私は天皇陛下御自身に任命された家庭教師なのである」

「そして、英語を教えるということは、日本に対して新しい動的な関係をもつようになったアメリカ的な民主主義の思想と実践とを、皇太子殿下その他の生徒たちに教えるという、さらに大きな仕事の方便にすぎないこともわかっていた」

「やがて私は、とかくあらゆる決定を他人に任せて何も自発的にはなさらない殿下の受身な御態度を改めたいと思って、『最初に何をしましょう、書取り? 会話? それとも読み方にしますか?』などと言い始めた。最初殿下は、『先生の方で決めて下さい』とおっしゃったりしたが、さあさあと促されると、たいてい、一番お嫌いな書取りを初めにするとおっしゃるのだった」

 バイニング夫人が出会った頃の皇太子は、礼儀正しく聡明なのだが、どうも自分の意志で行動する力に欠けるのが気にかかった。どこへ行って、何をして、何を話すべきか、全て周囲に任せっきりにしている印象すら受けたという。それを正すには、まず本人に自分で行動する自由を、選択する権利を与えるのが早道だ。

 このバイニング夫人の考えを、ロックフェラーは彼なりに生かしたらしい。ニューヨーク訪問を終えた皇太子一行は、9月25日から5日間、ワイオミング州ジャクソンホールにあるロックフェラー家の別荘に滞在した。

 ここは広大な国立公園の近くで、一行の世話をしたのはロックフェラーの側近のケネス・チョーリーと専用のコック、護衛のみでマスコミも入れない。そこで3世は事前にチョーリーに、ある指示を出していた。

「別荘では、事前に細かく予定を決めるのではなく、皇太子に選択を与えて自分で計画させよ」

 この指示を、チョーリーは忠実に実行したようだ。一行が別荘を発った後、彼は3世に6ページから成る報告書を送ったが、そこには滞在中の皇太子の振る舞いや反応が詳細に書かれていた。

「(初日の)夕食後、私は殿下に、明日は何の公式行事もないとお伝えして、『さぁ、一体、何をされたいですか』と言うと、大きな笑いが起きて一気に場が和んだ。ここにいる間はスピーチの予定もなく、ネクタイを締める必要もないと申し上げた」

 そして皇太子は別荘でダンスや釣りを楽しみ、ドライブに行った近くの町では、生まれて初めてカフェテリアで一般市民に混じって昼食をとったという。

「皇太子はまるで別人のようで、随員によると、米国に来てから最も楽しい時間を過ごしたという。殿下は欧米人がどういう人々で、どんな生活を送っているのか全く知らず、当地への訪問は極めて意義があったと確信する」

 それまで欧米各国を回る中、それこそ分刻みのスケジュールで、いつ誰と会って、どんな話をすべきか、あらゆる予定が決められた皇太子は、いわば籠の中の鳥だった。初めて自分の意思で行動する自由を得て、おずおずとカフェテリアの列に並び、市民に混じって昼食をとる姿が目に浮かぶ。

 それはあたかも、「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンが演じたアン王女のようであった。

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