日本人が知らない 天皇陛下「バトンタッチ」の「瞬間」に行われること

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 天皇陛下の代替わりまで2カ月を切ろうとしている。退位、即位のスケジュールもほぼ固まった。10連休も決まり、ますます祝賀ムードとなりつつある。では今から93年前、今上天皇の父・昭和天皇へのバトンタッチの「瞬間」とはどのようなものだったのだろうか。

 孝明天皇から今上天皇までの5代の代替わりをつぶさに追った保阪正康氏の歴史ノンフィクション『崩御と即位―天皇の家族史』を元に、大正天皇から昭和天皇への代替わりの様子を見てみよう。(以下引用は同書より)

 大正天皇が病弱だったため、昭和天皇はすでに5年前より摂政宮として公務に当たっていた。以下は大正15年12月15日の宮内省発表である。東京の繁華街などで号外として配られたのだが、大正天皇の病状がすでに重篤だったことがわかる(読みやすくするため、読点を適宜補った)。

〈…右御胸下葉における気管枝肺炎の御症状は未(いま)だ減退の趨向(すうこう)を伺い奉らず、御脈の緊張は中等度にあらせられるも、依然、頻数に拝せらる。御むせび遊ばすを以(もっ)て、ゴム管により御食事を奉上す。尚、一昨十三日、御接取御食事は左の如くあらせらる。

 牛乳六八、○立法センチメートル△肉汁一四〇、○△果汁一四、○△野菜汁一〇〇、○△卵黄四個△赤酒三〇…〉(○△の記号は原文ママ)

 今ではとても考えられないことだが、こうした詳細な「病状発表」は昭和天皇崩御までの期間にも行われた。これほどの個人情報の流出はないだろう。

 そして同月24日午後10時30分、宮内省は再び病状を発表している。

〈午後十時、御体温四〇・七、御脈搏(みゃくはく)一六〇以上、御呼吸七六。午後九時、御体温四〇・三、御脈搏一五〇以上、御呼吸六六。御脈糸状にして正確に算し奉り難し〉

崩御の2時間後には──

 翌午前1時25分、大正天皇崩御。そしてその2時間後、摂政宮(昭和天皇)即位の儀式(践祚(せんそ))が葉山御用邸の御座所で行われている。今回の代替わりでは5月1日に「剣璽等承継の儀(国事行為)」として皇居・宮殿で行われる予定だが、それは「三種の神器」のうち、剣(つるぎ)と璽(しるし)を新帝に手渡すという儀式であった。

〈剣璽を奉持した侍従、国璽と御璽を奉持した内大臣秘書官が玉座前に進みでる。それを内大臣の牧野(伸顕)が侍従から剣璽を、次いで秘書官から国璽と御璽を受けてそれぞれ玉座前の台に置いた。この瞬間に、皇太子は第百二十四代の天皇に即位したのである〉

 この後、若槻内閣は閣議を開き「昭和」と改元することを決め、新天皇に伝えている。新天皇はこれを枢密院に伝え、政府案を承認。「昭和改元の詔書」が発表されたのだった。

 今回の代替わりでも「剣璽等継承の儀」と同日に予定されているのが、「即位後朝見の儀(国事行為)」である。昭和天皇のときには、改元から3日後、宮中正殿で閣僚や文官、武官300人を集めて行われている。

 同書で保阪氏はこう指摘する。

〈近代日本の天皇制のもっているひとつの特徴は、それぞれの天皇の在位期間にそのイメージがつくられていることである。(略)時代は天皇がつくり、結果的に天皇には時代が凝縮されている〉

 来るべき次の時代は、はたしてどのような時代になるのであろうか。

デイリー新潮編集部

2019年2月26日掲載

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