大正天皇は摂政となった皇太子に、「印」を手渡すのを拒んだ……天皇の退位について考える

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 8月8日のビデオメッセージで、天皇陛下は、生前退位への強い思いを示唆された。「国民の理解を得られることを、切に願っています」との陛下のご意向を受け、9月23日、生前退位を検討する有識者会議のメンバーが決まった。86歳の今井敬経団連名誉会長を座長に6名。外部の専門家からも意見を聞き、提言を取りまとめる。政府は特別措置法で今上陛下に限り、退位を可能にする方針だという。

1.了承していたはずの大正天皇が……

 大正10(1921)年11月25日。この日開かれた会議で、健康のすぐれない大正天皇に摂政を置くことが決定された。
 会議の名称は「皇族会議」。
 出席者は、摂政となる皇太子(のちの昭和天皇)、宮家の12人の皇族の他に、摂政案を提出した元老・牧野伸顕宮内大臣、松方正義内大臣など数名。
 この日までに、牧野は皇太子の同意を得たうえで、さらに松方と2人で大正天皇に上奏している。皇族会議での決定は、天皇と皇太子の内諾を得たうえでのことになる。

 摂政案は、午後の枢密院の臨時会議で正式決定された。
 ところが――。
 摂政案に同意していたはずの天皇は、侍従長が決裁に用いる印籠を皇太子に持っていこうとすると、手渡すのを拒否したというのだ。
 侍従武官・四竃孝輔は『侍従武官日記』で、「詢に恐懼の至りなり」とその衝撃を記している。

2.「天皇にしかわからない感情」

 この度のお気持ち表明後も退位ではなく、摂政では――そんな声が聞かれるなか、近現代の天皇制について振り返った一冊のノンフィクションが注目を浴びている。
 保阪正康『崩御と即位―天皇の家族史』(新潮文庫)。上記のエピソードは同書に拠るが、
 著者は、「そのこと(印籠を手渡すこと――引用者)は単に『拒んだ』という意味ではなく、天皇の地位を奪われる、あるいはこの印籠を手ばなすことはそのまま天皇ではなくなるとの恐怖につながっているのである。それはまさしく天皇にしかわからない感情でもあった」(P35)と評している。
 きわめて印象的な皇位継承をめぐるエピソードである。

3.涙ぐむ記者

 健康を害した大正天皇の摂政を5年間務めたのち、即位した昭和天皇。
 前掲同書には、その昭和天皇が病をおしての最後の姿も、子細に描かれている。最後の会見となった那須御用邸でのエピソードは、衝撃的だ。
「このときの取材(1988年9月2日――引用者)が、天皇と記者たちとの最後の会見となった。もっとも会見といっても、すでに質疑応答が無理の状態だった」
 遡ること半月あまりの8月15日、日本武道館で開かれた戦没者追悼式に、天皇は、病状を気遣う侍医団の反対を押して、静養先の那須からヘリコプターで東京に戻り、出席している。
 那須にとんぼ帰りした天皇の会見は、記者団の強い要請に拠るものだったという。
「天皇が肩で息をしているような状態に見えた。一、二の質問が出ただけで会見は終わった。それは記者たちの判断でもあったからである。宮内記者会に二十年余も詰めている記者のなかには、この姿を見て涙ぐんだ者もいた」(P194~195)
 そしてこの後、87歳の昭和天皇の病状報道は、翌年1月7日の崩御に至るまで、過熱することになる。

4.天皇の家族史

 父である昭和天皇、祖父である大正天皇が身をもって示した、退位のあり方。
 天皇もまた人の子。
 務めを十全に果たし、後を継ぐ者に確実に引き継ぎたい――。
 今上天皇のご意思は、父・祖父の姿を家族として鋭敏に意識したものと考えるのが自然ではないか。
 オランダ、スペイン、ベルギーの現王室は、いずれも生前退位によって王位が継承されている。ヨーロッパで王室のある国は7つ。そのうちの3カ国が生前退位を認めていることになる。
 名だたる大企業の経営トップが、「後継者がいない」という理由で長々と現役を続けている日本。
 天皇の「お気持ち」表明以降のメディアの調査では、8~9割が、生前退位に賛成と答えている。
 今回の天皇の決断はなぜなされたのか。明治以来の天皇家の歴史をひもとくことで“代替わり”の難しさが見えてくる。

デイリー新潮編集部

2016年10月6日掲載

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