「寝室問題」は皇室にもあった 昭和天皇が変えた「寝室」の作法

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 夫婦の寝室を別にするかどうか。それは、ときに大問題となる。天皇も例外ではなかった。

「一人で寝ても必ずしもうまくゆくとは限らぬ」

 昭和59年(1984年)1月5日。皇后と寝室を別にしては、という侍従・卜部亮吾の提案に、天皇はなかなか首を縦に振らなかった。『天皇陛下の私生活 1945年の昭和天皇』の著者、米窪明美さんが言う。

「その6年半前に那須御用邸で腰椎を骨折して以来、皇后さまは体力、気力、記憶力などの減退に悩まされていました。入江相政侍従長の日記には、妻を懸命に支える天皇の姿が詳細に記されています。老齢の天皇にとって公務はただでさえ激務。そのうえ夜分に皇后のお世話をしていれば、睡眠不足が重なり体調を崩してしまう。寝室を別にすれば、皇后には女官がつきっきりで行き届いたお世話ができるし、天皇はぐっすりと休むことができる。双方にとって最も良い解決策だと側近たちは考えたんです」(米窪さん)

 入江侍従長の日記を引用する。

〈どういふものか大変おねむさう。のべつにおあくび。又昨夜皇后さまお起こしになったか〉(昭和57年6月15日)

〈この間お吐きになつたのも、皇后さまがお厠所がおわかりにならず、お上をお起こしになつた為ではないかと思はれる〉(昭和57年7月19日)

 側近たちが心配するのも無理はなかった。皇后と一緒にいたいと渋った天皇も結局折れた。しかし、一時的に寝室を別にしたものの、3カ月後の4月12日には元に戻っている。このとき昭和天皇82歳、良子皇后81歳。ダイヤモンド婚を迎えていた。

お后女官という“配偶者”

 米窪さんによれば、明治天皇は美子皇后と寝室を共にしなかったという。

「高齢とか不仲といった理由ではなく、それが皇室の伝統なのです。天皇を起こすのも、脇に侍寝したお后女官の役目です。大正天皇の生母・柳原愛子も、成人した4人の皇女の生母・園祥子もお后女官でした」

 お后女官は江戸時代の将軍家や大名家における側室と似た存在であるが、だからといって両者は同じではない。徳川将軍家や大名家の側室には美人であれば町娘でもなれた。しかしお后女官の実家は旧堂上家、明治時代の家格に直すと伯爵、子爵家と厳しく定められており、容姿よりもまず家柄が優先された。つまりお后女官は側室というよりも、むしろ配偶者の色合いが濃いのだ。

 昭和天皇は皇太子時代のヨーロッパ外遊以来、ライフスタイルを欧米風に切り替えていた。それゆえ新婚時代からずっとベッドを使用し、パジャマを着て、皇后と一緒に寝ていたのだ。宮中を変えたといわれる昭和天皇の改革は、寝室にも及んでいたのである。

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デイリー新潮編集部