男に捨てられホストクラブにもハマった31歳女子が自己肯定できた瞬間

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人は30代でやっとオトナになる?

 それはさておき、昨年末に上梓した拙著『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)の中で発達障害傾向のある人を対象に就職支援を行っている株式会社LITALICOの鈴木悠平氏が語っていた「30代成人説」が興味深かったので、今回のテーマとして取り上げたい。

〈発達障害って決して「発達しない」わけではないんですよ。僕は発達障害当事者の友人などから相談を受けたときに、半分冗談で「30代成人説で、気長にやっていこう」などと言っているのですが、ほかの人よりも時間をかけてゆっくり発達していくんだと思ったほうが気楽になれるかもしれません〉(『発達障害グレーゾーン』p150より引用)

 この「30代成人説」は、別に発達障害の人だけが当てはまるわけではないと思う。私自身、30歳を越えたあたりからようやく社会の仕組みが分かるようになってきた。それまでは自己肯定感が低かったことが生きづらさの一番の要因ではあったが、自分を受け入れられるようになったのは、様々なつらい経験、そして少しの成功体験などを積んだ末に自分を客観視できる能力が身についたからだと言える。精神的に成人していなかったからこそ、R氏のモラハラを1年半も受け続けてしまったのだ。

 そして、精神的に未熟なゆえ、R氏からのモラハラ行為と彼とのセックスに依存した。彼にとってのセックスは愛情ではなく、支配、そして手軽に快楽を得るための自分勝手なセックスだったのに、私は錯覚の愛でもいいと自分に言い聞かせてその関係を続け、血を流している心に絆創膏を貼り続けた。

 前著が2冊とも発達障害関係の本だったので、どうしても発達障害の例が多くなってしまいがちだが、発達障害、特にASD(自閉スペクトラム症:自分の世界に閉じこもりがちでコミュニケーションが苦手だったり、特定の分野にこだわりを生じる障害)傾向の強い人は自分を客観視することが苦手だ。

 だから、ネット上で、どんどん自分の理想と現実の自分との乖離が進んでいって苦しんでいる当事者を見かけることがある(例えば、現実的に考えると厳しそうな目標に挑戦していたり、どう考えても自分の能力以上のことを無計画に実践しようと意気込んでトンデモ発言をしていたりする)。

 誤解や偏見を生む表現かもしれないが、おそらく客観視ができる状態の人が見たら彼らは「痛い人」という印象を受けるだろう。

 これらは本人に自覚症状があって苦しんでいたり、その様子を周りの人が気遣ってうまく導いてあげると、認知行動療法やカウンセリングなどの訓練次第で、生きやすさのヒントを得ることも可能だ。

 実際に私も、発達障害や機能不全家族、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、依存症などの本を数冊参考にして、ノートに自分の現状や事実として起こっていること、必要以上に思い込みをしていないか、周りの反応などを書き出して整理し、今ではだいぶ物事を客観的に捉えられるようになった。この作業には3〜4ヶ月費やした。そうやって少しずつ、私は「発達」していった。

 法律としての成人は二十歳だけれども、何か壁にぶつかり、悩み、そして自分の弱さや醜さまで受け入れて精神的に“成人”になるのは、おそらく30代以降だ。そう考えると、モラハラ男R氏はまだ成人していないのかもしれない。私はR氏こそ認知行動療法やカウンセリングを受けるべきなのではないかと思っている。そうでないと、これからもモラハラ被害女性が生まれてしまう。

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