脱北女性が見た北朝鮮核実験場「豊渓里」死の光景 汚染を知らない住民たちは死んだ川魚を…

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脱北女性が見た北朝鮮核実験場「豊渓里」死の光景(下)

 亡命先の韓国で小説『豊渓里(プンゲリ)』を上梓した金平岡(キムピョンガン)氏は、50代の脱北女性である。書名になった同地は、北朝鮮による地下核実験が行われた朝鮮半島北東部の山村。核開発に携わる技官だった彼女の夫は、10年ほど前に放射線による影響が明らかな形で亡くなっている。

 かつては「地上の楽園」であったという豊渓里――その現場ではいったい何が起こっているのか。

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「再びこの地を訪れたのは1990年頃のこと。奇しくも、夫が軍の命令で赴任していたのです。 

 最寄り駅から山道を車で1時間ほど登ると、高射砲が集まった軍施設がありました。北は密かに70年代から実験場の建設を始め、住民には“ミサイル基地”と説明していたようですが、実は山裾に幾つもの坑道を掘っていた。避難訓練で入ったことがありますが、中は広く奥まで長く続いていました。ガス灯が3つほどしかついておらず、暗闇ばかりで強い恐怖感に襲われたことを覚えています。

 そもそも、この辺りは日帝時代(※日本統治下)に陶磁器の原料を採掘する鉱山が開かれ、そこに至る鉄道を敷いたのも日本でした。それらを利用して実験場を作ったというわけです。一方で、豊渓里は松茸の産地としても知られ、とりわけ軍の施設がある山奥に良質なモノが植わっていた。秋になれば村人は競って松茸狩りに精を出すのですが、そこに行くまで軍の検問所が幾つもあり、一般人は立ち入ることができません。けれど、入るなと言う一方で稼げ稼げというのもまた国の命令。北では人民に『忠誠の外貨稼ぎ』と呼ばれるノルマが課せられ、達成できなければ罰を受ける。そのため、侵入する住民が後を絶たなかった」

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