脱北女性が見た北朝鮮核実験場「豊渓里」死の光景 汚染を知らない住民たちは死んだ川魚を…

国際 韓国・北朝鮮 週刊新潮 2017年12月14日号掲載

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放射能被害を確信

――大食漢で丸々太った“ロケットマン”でさえ口にしないことからも、放射能汚染の深刻さが窺える。北はセシウムなどの核物質が飛散したことはないと発表し続けているが、実験場が地下にあるのだから、土壌や水脈が汚染されている可能性は否定できないだろう。思い起こせば、02年の小泉訪朝で大量の松茸が土産で贈られたのではないかと話題になった。核実験を受けた経済制裁で、日本は北朝鮮からの輸入を禁止しているが、「中国産」と偽った松茸が日本へ流入しているとの報道は後を絶たない。北が放射性物質にまみれた松茸を輸出していても、決して不思議ではないのだ。

「恨めしいのは、飢えと貧しさに苦しむ住民たちに、当地で核実験が行われているのが一切知らされていなかったことです。たとえ爆発が起こっても、坑道を掘るための発破作業はしょっちゅうで、地鳴りや爆音に慣れてしまっていたのも災いしました。核開発に係り、被曝死した夫を持つ私でさえ、韓国に亡命してから知った事実と当時の状況を照らし合わせ、ようやく放射能の被害だと確信するに至ったのですから。

 秘密主義の北は、90年代半ばまで欧米のみならず自国民に対しても、核開発の事実を曖昧にしてきました。豊渓里のような貧しい地方と平壌との格差は酷く、国中が困窮して研究も思うように進んでいなかったのです。94年に金日成主席が亡くなった後、都市部でさえ配給が止まる飢饉が国全体を襲います。『苦難の行軍』と呼ばれる時代で、餓死者が100万人を超えたという話も飛び交いました」

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