脱北女性が見た北朝鮮核実験場「豊渓里」死の光景 汚染を知らない住民たちは死んだ川魚を…

国際 韓国・北朝鮮 週刊新潮 2017年12月14日号掲載

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金ファミリーへの献上品

「手っ取り早く外貨を得るには日本人が好む松茸やイカを売るのが一番で、『日本人が山と言えば山へ、海と言うなら海に向かえ』なんて言葉が広まっていたのです。豊渓里の駅から数えて4つ目に吉州(キルジュ)というターミナルがあります。

 そこに行けば、身なりのいい日本人たちがいて、砂糖などの食料品や自動車を運んで来ていた。皆、彼らを相手に松茸を売っていました。

 豊渓里では清流に棲む川魚もご馳走でした。ニジマスは金日成(キムイルソン)主席の時代から献上品とされ口にすることはありませんでしたが、ヤマメもよく獲れた。村人は串に刺して焼いたり煮たりしていました。私が息子を宿した時は、お祝いにヤマメ鍋を作ってくれたこともありました。そんな住民たちは、核実験後、川魚たちが白い腹を露に群れとなって死んでも構わず拾って調理していました。加えて、水道はおろか井戸もない山奥とあって、村人らは飲料水をその川に求めた。結果、腹痛や血便が止まらなくなる病気が広まったのです。

 金ファミリーへの献上品から、豊渓里の特産である松茸やニジマスが密かに外されていたと知るのは、亡命後のことでした」

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