「ロック座名誉会長」逝く 芸能人のタニマチ、勝新の20億円をチャラに

芸能週刊新潮 2017年5月18日菖蒲月増大号掲載

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 裸一貫のストリッパーから女興行師として身を立てた、浅草ロック座の名誉会長、齋藤智恵子さんが胃がんで亡くなった。享年90。全盛期は、日本全国にストリップ劇場チェーンを展開する一方、気っ風のよさから、芸能人のタニマチとしても知られた存在だった――。

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 齋藤さんが亡くなったのは、4月28日のこと。春先に食事がまったく摂れなくなったため、4月上旬、家族が無理やり病院に連れて行くと、胃に15センチほどの腫瘍が見つかったという。

 ロック座の運営を継ぐ、長男・恒久さんによれば、

「本人はすぐに帰れると思っていたようで、10日ほど入院すると“家に帰りたい”と言いだしました。何とかなだめたものの、点滴だけなので徐々に体力が落ち、最期は眠るように呼吸をしていたのが、“フーッ”という感じで止まったのです」

 宮城県生まれの齋藤さんは、結婚して2人の子供に恵まれたものの、20代半ばでの離婚を機に上京。洋裁や日舞を教えていたが、36歳の時、高賃金を求めてストリップ嬢に。さらに翌年、栃木県のストリップ小屋の営業権を得ると、1970年代には20軒もの劇場を抱える興行師へと上り詰めた。

 40年来の付き合いがあり、葬儀にも参列した浅香光代さんが言う。

「彼女がロック座の小屋主になった頃、私の公演に祝儀袋を持って挨拶に来たのよ。そりゃどうもって受け取ったら、結構厚い。なかなか出来る女だなって思ったわけ。それからね、公演にはいつも来て、そっと鞄の中に包みを入れていってくれた。身体を張って生きた気っ風のいい女でしたね」

 親交のあった芸能人のなかでも、齋藤さんがとりわけ面倒を見ていたのが、往年の映画スター勝新太郎と兄の若山富三郎だった。

 再び長男の恒久さんが言う。

「40年以上前、母がテレビ番組に取り上げられたことがありました。その番組を若山さんが見たらしく、母に“5000万円貸してほしい”と訪ねてきたのです」

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