幕末の俳人「加藤素毛」が太平洋“決死の航海”で持ち帰った「31星」の星条旗

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大荒れの太平洋

 素毛が乗り込んだのは米艦「ポーハタン号」。正使・新見正興、副使・村垣範正、目付・小栗忠(ただ)順(まさ)(2027年のNHK大河ドラマの主役)をはじめとする77人の使節団員全員が乗った。一方、随行した「咸臨丸」には、勝海舟や福沢諭吉、ジョン万次郎ら日本人96名(およびアメリカ人乗組員11名)が乗船していたが、「太平洋」はその名が恨めしいほどの大荒れだった。一時は沈没を噂されたほどで、勝海舟、福沢諭吉らはひどい船酔いになったという。大揺れに耐えたのは万次郎くらいか。万次郎は土佐の漁師出身。海難で鳥島に避難しているところを米捕鯨船に救助され、米国で教育を受け、多年、捕鯨船に乗り組んでいただけある。

 冒頭の句は、素毛がニューヨークの港に着いた1860年6月17日(万延元年4月28日)の作。「星条旗」(33星)と「日の丸」の林立に、まるで鯉のぼりが並ぶ端午(たんご)の節句の時のようだ、といった意か。旛(はた)(旗)が詠まれた稀有な俳句であり、素毛は、街を埋め尽くした旗の波を見て、日本のお祭りを連想し、みずみずしい国際色豊かな句となった。

 当時の日本人は、まだアメリカの「国旗」に慣れておらず、「花旗」などと呼んでいた。中国語で米国は「美国」、これは発音に合わせての当て字だが、いまでも「星条旗」は「花旗」という。

甲板で句会

 このパレードを現場で見たアメリカの詩人、ウォルト・ホイットマンは代表作『Leaves of Grass(草の葉)』で、「わが星条旗は風にはためき 交易は開かれ 幾世紀にわたる雌伏はその務めを果たし 人類は溌剌と再び誕生する生活と為事は再び始まった。…この古来のアジア民族は 当然そうあるべきように更生して いま 世界注視のうちに 今日から発足するのである」(日本近代史研究会訳、『国民の歴史 巻2 国文社』)と詠っている。

 素毛はこの句のように道中での生活や風俗などを詠んだり記録したりする一方、各地で多くの俳句を詠み、『周海日記』『亜行航海日記』にまとめている。ケープタウン沖経由の帰路では、甲板で句会も主宰した。

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