なぜ外国人は、幕末の日本人を見て「優秀だけれど不正直」と思ったのか?

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 幕末の日本を訪れた外国人は、日本人の知的な鋭さと旺盛な好奇心に深い印象を受けた。異国の技術を瞬く間に吸収する優秀さに驚嘆する一方で、「世界一の嘘つき」と断じる記録も残している。

 文明史家の渡辺京二氏(1930~2022)は、新発見の講演録を元に編集された新刊『私の幕末維新史』の中で、日本人の印象がなぜ両極端ともいえるものになったのかを考察している。以下、同書から一部を再編集して紹介する。

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好奇心旺盛な日本人

 幕末日本にやってきた外国人が気づいたのは、知的な優秀さです。16世紀に日本へやってきたフランシスコ・ザビエルが、マレー半島のマラッカで日本人のヤジロウ(弥次郎)と出会い日本語を教わったとき、「東洋で一番利口な民族だ」という感想を持ちましたが、それと同じ意見を彼らは得ております。
 
 優秀な民族で、頭がいいと感じた理由は、好奇心の旺盛さにありました。たとえば、アメリカ人やイギリス人が、機械文明の象徴ともいうべき蒸気船に乗って中国に赴いても、中国人はあまり興味を持ちませんでした。

 いや、持っているのかもしれないが、彼らには「自分たちが一番世界で進んでいる」という中華意識があるので、勿体ぶって関心を示さない。ところが日本人は面白がって、たちまちのうちに真似をしてしまう。

 そのいい例が蹄鉄(ていてつ)です。当時、日本の馬は藁沓(わらぐつ)を履いていました。これが困ったもので一里走ると潰れてしまい、履き替えなきゃいけないのです。

 ところがハリスが江戸に入ったとき、馬の蹄(ひづめ)に蹄鉄が打ってありました。幕府の役人が見て「これはええもんだ、一日貸してくれ」というので馬ごと貸したら、早速その真似をして、しばらくすると、日本の馬はみんな蹄鉄をつけるようになりました。

「喜望峰以東で一番優秀」

 また、オールコックが日本に戻ってきた元治元年、長州が外国船を砲撃した報復に、四国艦隊が下関を攻撃した際、砲台から六十門ほどの大砲を戦利品として奪いましたが、それらは後々まで英仏の公園や観光名所に陳列されていました。

 明治以降、ヨーロッパを訪れた日本人留学生などはそれを見て恥ずかしい思いをしたそうですが、それはさておき、英仏はこれら分捕り品の大砲を見て、よく真似していると感心したようです。

 ハリスは「喜望峰(ケープホープ)以東のいかなる民族よりも日本人は優秀だ」という感想を日本に到着して早々に述べています。アフリカの最南端以東ということは、これはアジア全体を意味しますから大変な誉め言葉です。

「東洋人で一番不正直」

 そんな風に「清潔であり正直であり、知的に優秀だ」と我々を持ち上げ、日本人としては嬉しいことを述べてくれるのですが、彼らの手記を読み進めると、たちまち書きぶりが変わり、「世界で最大の嘘つきである」という感想に至ります。

 ところが「嘘つきだ」と言いながら「正直だ」とも書いていて、彼らも矛盾しているのです。つまり、どう理解していいか戸惑っていた節があるとも言えます。

 日本人の嘘については、外交交渉という任務を負っていたオールコックとハリスが繰り返し記録していることで、たとえば、ハリスは幕府の役人に対して、「欧米では嘘つきは軽蔑されます。あなた方が私に嘘をつくのは、私を子供扱いしているのです」と噛んで含めるように言い聞かせねばならなかったほどでした。

 ハリスは「日本人は世界で一番嘘つきだ」とまで言っています。また、オールコックも「日本人の悪徳の第一は嘘である」「東洋人の中で最も不正直でずるい」とハリスと同じ結論に到達していますから、さんざんな書かれようです。

横行するピンハネ

 この辺から私の考えに入っていきたいのですが、外国人の日本人に対する称賛はさておき、日本人が嘘をつくとはどういうことなのでしょうか。

 彼らが日本人は嘘つきだと感じたことは大変注目に値します。なるほど、彼らの応対をした人々の道徳感が低かったこともいささか関係しているようです。外国人は自分では買い物できないので、代わりに日本人が支払うのですが、必ずピンハネをしているという不平を述べています。

 多少誤解もあったのでしょうが、そのような「仲介手数料」を取る習慣は日常茶飯事だったようです。また横浜から生糸を輸出するとき、中側には質の悪いものを入れるなど、すぐバレるようなインチキをやる。オールコックは「これはイギリス人でも商人などはやっていることだが、日本人のほうがひどいんじゃないか」と言っています。

 こうしたオールコックやハリスの「日本人は嘘をつく」という印象は、どうやら幕府の役人の対応に原因があるようです。明治維新に関する歴史書を繙くと、ハリスとオールコックの指摘が正しくて、応対した幕府の役人は日本人ながら見苦しいと書かれているものがほとんどです。

 しかし、これはかなり事実と異なるのではないでしょうか。ハリスの『日本滞在記』ですが、その訳者はなかなか丁寧で、何月何日、日本の役人とこういうふうなやり取りをしたと細かく注を入れています。また、外国人に対応した幕府側の文書も残っています。なぜなら江戸幕府は完成された官僚組織だったので、交渉の過程がどうだったか、役人が克明に文書を残しているのです。

嘘の指摘は「野暮」

 さて、双方の記録を突き合わせると、日本側は細かいことでは嘘を言っているのかもしれませんが、本当のところは、どうも言い逃れをしたかったようなのです。

 昔の人はそれだと相手の面子を失わせて辱めることになるから、嘘でもいいから「できないという理由」を作って、婉曲に断りました。それは日本人のほぼ全員にあてはまりました。相手を傷つけることを極度に恐れる一つの礼儀作法として虚偽を口にするのです。これはオールコックが書いていることです。

 要求を断るときに、あからさまに理由を言わない。言うと相手を傷つけて失礼だからと考え、結果として嘘をつく。自尊心が発達しているのと同時に、相手を傷つけたり怒らせたりすることを恐れるデリカシーを、幕府役人の振る舞いから感じ取っていたのです。

 つまり、何か理由をくっつけて断るのですが、突っ込まれるとたちまちばれるわけです。ところが、日本人は慣例上そういうところは本当のことまで追及しないことになっている。相手が言い分を聞いて「あぁ嘘だな」と感じながら、そこは断られた方も察する。相手の断りの口実が真実であるか否かを咎め立てはしない、そんなことをするやつは野暮天なのです。

※本記事は、渡辺京二著『私の幕末維新史』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。

渡辺京二(わたなべ・きょうじ)
1930年京都生まれ。大連一中、旧制第五高等学校文科を経て、法政大学社会学部卒業。日本近代史家。主な著書に『北一輝』(毎日出版文化賞)、『逝きし世の面影』(和辻哲郎文化賞)、『日本近世の起源』、『江戸という幻景』、『黒船前夜』(大佛次郎賞)、『未踏の野を過ぎて』、『もうひとつのこの世』、『万象の訪れ』、『幻影の明治』、『無名の人生』、『日本詩歌思出草』、『バテレンの世紀』(読売文学賞)、『小さきものの近代』他。2022年没。

デイリー新潮編集部

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