大雨は日本だけでなくタイでも… 東京では想像できない「バンコクならでは」の被害事情
かつては死者800人超の被害も
バンコクはしばしば洪水に見舞われる都市である。チャオプラヤー川とパーンパコン川に挟まれた一帯にバンコク経済圏は広がっている。雨季に降った雨はこのふたつの川に集まり、水嵩が増し、毎年、9月から11月にかけて洪水の危険が高まる。ふたつの川は運河で結ばれ、水位の高いほうから低いほうに水が流れ、なんとか洪水をしのぐ年もあったが。しかし水量が排水機能を超えると、バンコクの街に水が流れ込む。
2011年の洪水は深刻だった。600万ヘクタール以上が冠水し、1300万人以上が被害を受け、死者は800人を超えた。工業団地のなかには3メートル以上の浸水が1カ月以上もつづき、操業できないところも多かった。
バンコクの郊外は、まだ高床式の家が多かった。高床式は洪水に強い家の構造でもあったのだが、都市化が進むなかで、その機能が削がれていった。1階を駐車場や部屋に改装する家が多くなっていたのだ。洪水はそこを直撃し、感電死も多かった。
それから15年。バンコクの都市化はさらに進み、家の構造も変わり、感電死は少なくなった。しかし気候変動のなかで雨の降り方が変わってきた。
Kさんがバイクタクシーを手配しようとしてもできなかった9月25日は、その前日から激しい雨が降りつづいていた。もともとバンコクの雨は激しいが、長く降りつづくことはあまりなかった。この雨は5日間も降りつづき、雨量は推計で400ミリを超えた。今年、日本の関東、特に千葉県を襲った長雨の降り方を思い出させた。低気圧が停滞する雨である。
滑走路は無事なのに…空港も混乱
雨季の雨で水嵩の増した川を抱えるバンコクを、さらに強く長い雨が襲った。その影響は思わぬ形で表面化した。2011年の洪水を知っている中年以上の世代が、スーパーやコンビニに並んでいた食品を一気に買いに走った。バンコク市内の多くの店で、食品棚が空になってしまった。その状況は1週間以上もつづくことになる。
そしてバイクタクシーの運休である。洪水は2011年ほどの規模ではなかった。しかし長雨のため、思わぬ道路が冠水した。間違った情報も含めて道路の冠水状況がSNSで拡散し、少なくないバイクタクシーの運転手が仕事を休んでしまったのだ。通行できる道は多いのに、バイクタクシーが姿を見せない状況になってしまったのだ。
この時期、バンコクのスワンナプーム空港でも混乱がはじまった。この空港は2006年に開港していた。もともと低地につくられており、洪水に見舞われる心配はあった。2011年の大洪水の経験もあり、それなりの対策が施されていた。空港の周辺には「ケームリン」と呼ばれる遊水地がいくつも作られていた。ケームリンというのは、「サルの頬」という意味だ。サルが頬に食べ物を溜め込んで食べる様子からこういわれた。洪水になっても、遊水地に水が流れ込み、空港が守られる仕組みである。
長雨の水はそこに流れ込み、空港は無事だったのだが、思わぬことが起きた。空港で働く人たちが出勤できなくなったのだ。多くが空港周辺の低地に住む人たちで、周辺に水が集まってしまったのだ。
タイの企業では交通費を支給しないことが珍しくない。そのため、勤務地の近くに住む人が多くなる。開港から20年の間に、空港周辺から通う職員の割合が増えていた。彼らの家の周囲が膝上、場所によっては腰の高さまで水に埋まってしまった。
乗客の荷物を扱う職員の出勤率は、通常の3割程度になってしまったようで、空港に滞留する荷物は1万個に達した。スタッフ不足は運航にも影響を与え、欠航する便が相次いだ。空港施設そのものは水害を免れたが、荷物処理などの地上職員不足で空港機能は大幅に低下してしまったのだ。
バンコクの都市化は、長雨を前に、思わぬ弱さを見せつけた。







