“余命宣告を受けたがん患者”が本格的な治療を前に「友だちと宴会を開いた」納得の理由…「結果的には正解でした」

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何とも言えない下心

 もともと私は友人たちをつなげるような会を企画するのが好きだった。自分とはそれぞれ違うルートで知り合った友人同士が、何かのきっかけで出会い、そこで話が合い、私とは関係のないところで新しい友人関係をつくっていく。不思議なものだが、その様子を見るのが私はこの上なく好きだった。自分が誰かと親しくなることとはまた違った喜びがそこにはあった。だから、可能なうちにその幸せを少しでも実現したいと考えた。

 もっとも、そこにはちょっとした甘えもあった。

 私が余命宣告を受けたという状況であれば、普段は忙しい友人たちにとっても、「それなら集まろう」というモチベーションになるのではないか。そんな、何とも言えない下心があった。

 自分の病気を利用してまで、なぜそんなことがしたかったのか。今から振り返ると、少し不思議な感覚でもある。ただ、これは結果的には正解だった。

 後の話になるが、抗がん剤の治療を始めてみるとやはり身体への負荷は大きかった。自分が主催して会食を開こうと思っても、主催者である自分自身が当日キャンセルする可能性を最初から織り込まざるを得なくなった。
 
 もちろん、友人たちは事情を理解してくれるだろう。それでも、こちらには遠慮がある。自分の体調次第で予定を変えてもらうことを前提に、勝手気ままに会食の予定を入れるわけにもいかなかった。

 治療が始まる前の私は、そこまで深く考えていたわけではない。それでも、元気なうちに早めに声をかけておいたことは、間違ってはいなかったと思う。

第2回【膵臓がん患者(62)が『イン・ザ・メガチャーチ』を読んで気づいた“雑談”という名のケア 自分の弱さを語ること、誰かの弱さに耳を傾けること】では、がんになって初めて知った、雑談がもたらす意外な効用について詳報している。

Y・J
1963年生まれ。京都大学大学院を経て、テレビ局に就職し、数多くのドキュメンタリー番組や教育番組を手掛ける。退職後は大学に転職し、現在も教員としてメディア論や社会学などを教えている。

デイリー新潮編集部

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