「平均余命1年」を宣告されたら「仕事は辞めて当然」か? 膵臓がん患者が直面した“病人は社会的役割から身を引くべきではないか”という考え方【第6回】

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「治療に専念」という言葉

 パーソンズが「病人役割」を発表したのは戦後間もない1951年のこと。「回復」が望めなくとも「正常な社会的役割の責務」が果たせることが当たり前になった今からすればギャップがある。

 しかし、私個人としては、がんであることに直面して「正常な社会的役割の責務の免除」を意識せざるを得なかった。もっと正確にいうと、回復が望めない以上、「正常な社会的役割の責務」から免除されるのではなく、自ら身を引くべきなのではないかという考えがどこか頭から離れなかった。

 別にパーソンズの教えに影響を受けていたわけでもないので、昭和気質でワーカホリックな考えが染み付いていたのだと思う。「病人役割」は、医者のいうことを聞いて、早く回復し、労働人口に復帰することを奨励しているわけで、経済成長下の社会にはマッチする。そうした世代的な感覚に加え、当時のジェンダーバイアスを踏まえ、労働の価値を大きく、重く捉えていたことは間違いない。

 先に書いたように、結果的に私は自ら身を引くことはせず、仮に「回復」が見込めなくても、「正常な社会的役割の責務」として仕事を続けることを望んだ。その理由は、転職して間もなかったが、教員という仕事にやりがいを感じていたことと、私の子どもたちがまだ学生であるという経済的な事情からだった。

 悩まなかったわけではない。仕事をすれば体力を削ることになるし、ストレスにもなる。「治療に専念」という言葉が頭をチラつくこともあった。しかし完治の見込みは期待できないと言われている以上、休息を優先してもしょうがなく、動けるうちはやりたいことをやった方がいいのではないかとも思う。一方で状況的に仕事を続けたいと言ったところで、職場が受け入れてくれるかどうかはわからない。様々な考えが頭を駆け巡った。

 が、結局一人で悩んでもしかたないという結論に至る。とにかくどうしたいのかは、言葉にして伝えないと始まらないと思った。

 その言葉を、誰に、どういう順番で伝えるかが次の問題だった。

 まずは家族だ。ここでも逡巡が始まる。

自分ひとりでは至れなかった結論

 私は仕事優先のライフスタイルだった。余命幾許もない中で、やはり仕事を続けたいと伝えてよいものかわからなかった。「動けるうちは仕事をしたい」と言いつつ、心の中には「できるだけ家族との時間をつくりたい」という思いもあった。どちらかを選ぶしかないことなのかも自分ではわからなかった。

 理想を言えば、短い余生でも、仕事を続けながら家族との時間も大切にしたい。とはいえ、それは、まだがん患者ではなかった頃ですらできなかったことだ。がんになったからといって、いきなりできるようになるのかと自問すれば自信はない。自分の言葉ひとつで家族の受け取り方を変えられると思うほどの傲慢さも持ち合わせてはいなかった。

 結局のところ思っていることをそのまま言うしかなかった。家族は反対しなかった。私は感謝した。

 次に相談したのは、大学教員歴の長い友人だった。治療を始めると配慮を求めることになるかもしれないので、状況説明はすべきだろうというというアドバイスを得た。

 後から考えれば当たり前のことのように思えるが、自分ひとりではこの結論には至れなかった。

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