「平均余命1年」を宣告されたら「仕事は辞めて当然」か? 膵臓がん患者が直面した“病人は社会的役割から身を引くべきではないか”という考え方【第6回】
未来は常に変化する
〈たしかに未来の死は確実ですが、しかし、なぜ、その未来の死から今を考えないといけないのでしょうか。それではまるで未来のために今を使うみたいじゃないですか。〉
なぜ未来の死から、逆算して、今を考えないといけないのかという問いは、私にとって衝撃だった。
未来は今から推しはかることはできない。もちろん良くなるだけではなく、悪い方に変化する可能性もあるが、それらの可能性をすべて含めての未来ではないか、と宮野さんはいう。余命や生存確率という数字は確かに一定の根拠があるのだろうが、確定ではない。未来はつねに変化するもので、がんの治療法ひとつとっても日進月歩。だから未来の死を前提に今を考える必要はない。
言われてみればその通りだが、にわかに立ち現れたがんという現実を前にして、ここまで背筋を伸ばした考え方をするのは簡単ではない。
私の場合、平均余命1年という“未来”を提示されたわけだが、1年を前提にスケジュールを立てたりはしなかった。宮野さんのような確たる考え方があったわけではなく、戸惑いながら、その場その場での選択を積み重ねた結果に過ぎない。
だが、宣告から2年が経った“今(2026年8月)”からすれば、統計より良い方の“未来”だったということになる。日々がんとの格闘は続くものの、前向きな可能性を捨てなくて良かったと思う。
一方で、命の限界を意識したとき仕事をどう考えればいいのかは悩ましい問題だ。
病人になることの社会的な意味について考えたのがアメリカの社会学者、タルコット・パーソンズ(1902-1979)だ。パーソンズは社会において家族が果たす機能を分析したことで知られるが、「病人」についても社会で果たすべき役割=「病人役割」があるとして、以下の4つを挙げた。
(1)正常な社会的役割の責務の免除
(2)病気が続いているあいだ、かれ(病人)は「それをどうしようもない」
(3)「回復」しようとする義務を伴う
(4)医師の援助を求める義務、および回復しようとする過程で医師と協力する義務
※註:「(病人)」は筆者による加筆
[2/4ページ]


