妻との間に子はいないけれど“もうひとつの家庭”の娘は小学生になった 「本妻が恋人感覚」43歳夫が気にする“不公平”
そして舞美さんと…
35歳のとき、舞美さんが「帰ったよん」というメッセージとともに戻ってきた。すぐにでも会おうと言っていたのだが、実際、会ったのは3ヶ月後だった。
「やっと会えたという思いが強かったですね。彼女のほうも『わりとあなたのこと、よく考えてたよ』って。急にふたりの間で何かが燃え上がったのがはっきりわかりました。食事をしてから彼女のひとり暮らしの部屋に行って、朝まで過ごしました」
そういえばあなた、結婚してたよねと言われたのは翌朝のことだった。そうだ、ごめんというと「私は別にいいけど」と舞美さんは明るく言った。ふたりの間で共犯関係が生まれた瞬間だったのかもしれない。彼は平日、週に1、2回は彼女の部屋に泊まるようになった。
「それから半年後、舞美が妊娠しました。子どもをもつ最後のチャンスだろうなあと彼女が言うので、認知はするけど結婚はできないと正直に言ったんです。すると舞美は『わかった。産むわ』って」
祥平さんの中で、妻はあくまでも恋人だった。舞美さんが自分の子の母となることに違和感はなかった。説明しづらいけど、と彼はしばし考える。
「舞美とずっと一緒に生活するというイメージもなかった。ただ、今のまま平日に1、2回、舞美と一緒に過ごす。そこが僕の家庭。亜希子はやはり恋人で、子どもを介さない大人同士の関係。そんな感じなんですよね」
わが子に会って
舞美さんは精神的に自立した女性だった。職場でも信頼があったのだろう。会社に未婚のまま子どもを産むと告げたが、会社から何も言われなかったと苦笑していたという。周りからは「らしいね」と言われたそうだ。
「産後はどうするのかと心配していたら、『妹や従姉妹が来てくれるから大丈夫。むしろ、あなたは来なくていいから』とまで言われました。でも生まれると連絡があってすぐ駆けつけました。生まれたばかりの女の子が小さくて甘い香りがして、とにかくかわいかった。オレの子かあ、と不思議な思いで娘を見ていました」
舞美さんの家の近くに引っ越し、いつでも自転車で手伝えるようにしていた。自転車通勤をしていたので、平日の深夜には連絡をとってからよく寄ったという。
「今年、娘が小学校に入学しました。この間、いろいろありましたよ。娘の高熱が下がらず、ひたすら心配していたこととか、舞美が仕事と育児で疲れ果てて入院してしまったこととか。そのつど、舞美はひとりで乗り越えてきた。もちろん僕も手伝ったつもりだけど、一緒に住んではいないから役には立ってないですよね、たぶん」
そんな状況で娘の入学式には出席できたことが、なによりうれしかったという。だが、彼はやはり「自分に父親の資格はないと思う」とも語る。
「子どもを子ども扱いできないんですよ。舞美は『慣れの問題だと思う』と言いますが、慣れというより資質の問題だと僕は思っています。自分の子だという実感がまずない。養育費は出していますが、娘に対してこういうふうに育ってほしいという気持ちも特にはないんです。彼女のことは大切なんだけど、いわゆる父性みたいなものに欠けている。抱きつかれればうれしい、でもどこか冷めた目で見ている気もする。実父に捨てられ、継父とはそりが合わなかったことの帰結がこれかよと思うこともあります」
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